土左大神は隕石神か 0.13

まず前提として、日本古代の文化文明が夜を中心にされていたことをまず知る必要がある。1日の始まりが宵宮とされ、日が没する時が始まりという考え方である。まず、この感覚を理解しないことには古代史を理解することが難しい。

 

さて、1日の始まりが何故、夜からかということだが、宮崎駿監督のもののけ姫を見ても分かり易い。シシガミ様が活動できるのは太陽が没して太陽が昇るまでの間である。つまり、霊(ヒ)の力が使えるのは夜だけであり、このヒに日の文字を当ててしまったのは、大和朝廷の鬼道の封印ということになる。

 

つまり、記紀では悪神とされている香々背男神(星神)、ほぼ言及されていない月読命が日本古来の信仰体系の中心にいたことをまず認識する必要がある。

 

ちなみに星神社が多いのは、高知県、栃木県、群馬県。香々背男神が眠っているのは茨城県である。さらに言うと、高知県の神社では、今でも北斗七星を祭神にしている神社がある。天武期、明治期、戦後期の3回の破壊を免れた奇跡の古社たちである。北極星を祀った神社が悉く大王は1人という律令国家の設計思想内で修正を余儀なくされたことも、特に天竜川周辺の北極星文化に対して敬意を表しつつ、書いていきたいと思う(当然のことだが、北極星とは諏訪湖のことである)。

 

さて、今回は土佐風土記逸文にある天河命に纏わる考察である。

当然、上記の前提を読んでいただければ、天河命が天の河を神格化したものであることはだいたいはお察し頂けるものと思われる。これが、他の文献には全く出て来ない土佐独自の神であること、そしてその神が675年に天武天皇に神刀一口を献上した土左大神の子であること。

そして、その天河命の娘が浄川媛命であること。この神が当然、瀬織津姫の原型、祓戸の女神であることは言うに及ばない。

 

端的に言うならば、夜=星(北極星、北斗七星)=天の河→昼=島、巨石=川→大王=巫女=力の象徴=霊(ヒ)ということである。

 

さらに言うと土佐郡家内を流れる国分川には川を挟んで七夕の風習があり、葛木男神社と葛木比咩神社がある。ここまでは全国にもあると思うが、ここが布師の拠点というところが重要な意味を持つ。長宗我部元親の居城はこの範囲内にあり、岡豊(おこう)とはおそらく”お皇”、高知県には笑い話か、というような高板山という山があり(つまり、お皇が居た山)があり、巨石遺構も残されている。

 

本能寺の変時に藤氏長者であった一条内基も25歳から28歳まで土佐に逗留しその8年後に関白・藤氏長者になった(翌年本能寺の変)、垂加神道を大成した山崎闇斎も若い頃この付近で修行し、菅原道真が亡くなった時に道真の遺品を長男高視に届けに来た伊勢の度会氏(白太夫)もこのあたりで没しているし、ひらがな革命を起こした紀貫之も大津御所あたりから京へと出立している。

 

話を元に戻して、布師とは誰かということは良く知られていない。ただ、魏志倭人伝項に色鮮やかな布を魏に贈ったということは、倭人伝項の信憑性は抜きにしても有り得る話である。

 

星と秦氏、タクハタチジヒメを関東関西などで調べたが、釈然としない。絹をうず高く積まれたので、太秦になったという記述はどうも信じがたい。秦氏はどう見ても土木工事で時の政権に寄与している。

 

高知での配置を見ると、葛城氏が最も政権に近い、賀茂氏、秦氏がその後に続く。

 

葛城氏が天の河を信仰し、ベガ、アルタイル、デネブをも信仰していたのか。高知市の桂浜は古来、勝浦浜だったとも。和歌山、千葉にも存在する勝浦。海神族の船での航行は星を目安に行われていた。また、あめのまひとつ神にも象徴されるような鉱石族も夜、行動する事が常とされた。何故ならば、鉱石が夜光るから鉱脈を探し易いのである。

ここで気になるのが、夜、山に入れば狼がいる。狼信仰は北関東そして高知に比較的多い。冒頭の星神社の多い地域と謎の一致を醸す。坂東眞砂子の狗神憑きではないけれども、狗神という民間信仰は今でも高知の中山間地域には存在する。

 

古代の内神について – 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ

 

上記のリンクに平川南さんの内神考察がある。結びで書かれているのは、土佐郡家などで祀られていた戌亥隅神の祭祀が中央の祭祀に取り入れられ拡大していった可能性があると書かれている。

 

土佐高加茂大社の奥社はおそらく北斗七星を祀った七ツ淵神社であり、龍神が鉄器を嫌ったという伝承がある。土佐神社の辰巳方角に葛木男神社、葛木ヒメ神社、さらにその先の辰巳方角は石器時代からの遺構が連綿する高天ヶ原山。さらにその先には卑弥呼と同時期に存在した纏向とは比べ物にならないくらいの巨大弥生集落の田村遺跡と介良三山。

藤原京内においても戌亥の方角の祭祀を意識した構造があるということであるから、藤原京自体が土佐の御所と介良三山の構造を模した可能性すらある。

 

葛木ヒメ神社から葛木男神社に国分川を渡る橋は内(うぢ)神への橋は、内(宇治)橋となる。浄川媛命(瀬織津姫)が宇治橋の手前(葛木ヒメ神社)に祀られているのは伊勢神宮の内宮と同じである。つまり、大津御所と岡豊(お皇)城の間は広大な内宮であった可能性がある。山崎闇斎がここに逗留して垂加神道を大成するのも、こう考えると納得できる。明治期と戦後にどのような破壊活動があったのだろうか。少なくとも戦後において土佐清水の唐人駄馬遺跡世界三大ストーンサークルと言われる遺跡、香美市の日ノ御子の巨石、仁淀川河口の岩神は全て爆破、破壊されたことはわかっている。

自分も訪れたことのあるアイルランドのニューグレンジ遺跡の構造を借りるなら、辰巳からの冬至の日の出でまず朝峯神社のニニギが照らされ、次に高天ヶ原山が照らされ、次に葛木男、葛木ヒメ神社のタカムスヒが照らされ土左大神(土佐高加茂大社)が照らされ、最後に北斗七星(七ツ淵神社)が照らされる。これを逆に辿ると日本神話の通りであり、星の部分だけが消されているのに気づく。この祭祀は当然、高貴な人(お皇)の再生の為の祭祀であることはすぐにわかる。

 

復活と再生の大地の神、サトゥルナリアはヨーロッパでも悪神とされてしまった。

 

伊勢神宮の内宮の元宮は朝熊(あさま)山とされる。高知の朝峯神社は女陰巨石信仰の山であり、高天ヶ原山の山頂遺跡も石器時代から続く遺跡である。岡豊の項で言及した高板山も巨石遺構である。

 

藤原京の着工は日本書紀の記述では690年だったが、最近の研究で着工が676年には開始されていたことが判明している。つまり天武天皇は、土左大神から675年に神刀を受け取った翌年から藤原京の建設にとりかかっていたのである。ここで問題になるのは、なぜとりかかりの年を誤魔化す必要があったのか?神刀一口とどうしても書かなければいけなかった理由とは何か?である。

 

ここまで読み進めたらおそらく誰にでもその答えはわかると思う。天武天皇はその後祟りでご崩御され、土佐の陸地は白鳳の大地震で沈没。既に上鴨、下鴨の地名が冠せられていたということだから、神社も条坊制もあったのだろう。京都の上賀茂神社や下鴨神社が創建されていくのはこの後のことである。

 

天の河を産んだ土左大神とは一体何なのだろうか?銀河を産むくらいだから相当な宇宙的な存在である。天武天皇が恐れるのは当然のこと、雄略天皇ですら、一言主を恐れていた。一言主が土佐土着の神というのも以前、何度も書いた。

 

高知の星神社では、ご神体に過去、堕ちてきた隕石を祀っている神社がある。

 

そういえば、古代、夜須沖に隕石が堕ちて、嶺北まで津波が来たという伝承を聞いたことがある。近くには天忍穗耳尊を祀る石舟神社がある。

民主主義が為し得るはずだと思い込む日本人の勘違い 0.12

0.05や0.01でも書いたように高知には自由と平等の感性が強く眠っている。その自由と平等の感性というのは縄文の感性である。

じゃあ、なぜその感性が他の地域に残ってないかと言えば、律令国家が広がっていく中で破壊されたのである。はるか東北まで胆沢城が築かれたように、蝦夷は徹底的に収奪された。九州は大陸から近かった為、鹿児島の一部や五島列島や姫島を除いて、縄文が残るという可能性は低かった。残るは沖縄と北海道と四国だが、大和朝廷の国家境界にはこの内、土佐しか入ってない。

国家境界の外側は討伐対象になるが、内側の辺境は島流しの対象になる。何故ならば、“祟り”という同じ文化を共有していたからである。

 

①大陸の帝国主義がそれほど無尽蔵に入って来てない

②大和朝廷の国家境界内である

③ミクロネシアやポリネシアなどの熱帯地方からの平和な価値観、熱帯ジャポニカなどの作物が伝播する土地

 

この3つの条件を備えるのは、冒頭の条件も加えると高知ということになる。吉野などの和歌山の一部も畿内から近いが特別な条件の下で守られてきた。雑賀衆や根来衆なども自由平等主義の際たるものだが、明智光秀や長曽我部元親と共に最後まで織田信長に対抗した。

 

この自由と平等と権威権力の戦いは、弥生時代から戦国時代、幕末を通じてずっとテーマになってきているものである。

 

であるから、ここからが本題だが、土佐がたまたま大和朝廷の境界内に存在し、自由と平等の縄文の感性を継承してきたが故に、自由民権運動によって日本は近代化出来たし、逆にそれがなければ日本はミャンマーのように軍事政権化していた。現に自由民権運動崩壊後、土佐人が下野してからは日本国はあっという間に軍事政権化した。

 

薩摩と長州が徳川を軍事的に滅ぼすと躍起になっていた時に、それをゆしたのが龍馬であったことも周知の事実である。

 

であるから、日本人の多くの勘違いが、現在の長州の政権で民主主義が為されるはずだと思い込んでいることである。ただの一回も長州が民主的であった試しはない。現在の安倍首相の振る舞いは高杉晋作と同じではないか。

 

歴史を勉強すればこれらのことはすぐにわかることである。

高知化(こうちけ) 週末カフェカーニバル0.11

週末カフェという贅沢ライフスタイルは、複業の最前線であると思う。

平日、カフェを遊ばしておいて週末だけカフェを営業するというのは、資本主義的には丸赤字である。家賃を払っていてはとても成り立たない。不動産価値の利回りが完全に算出された都市圏では到底、出現し得ないライフスタイルである(資本主義的な余程の金持ちを除いては)。

 

不動産価値の比較的低い地方都市においてのみ週末カフェの複業が成立する。殆んどの場合、親、親戚から貰い受けたが、貸さずに自分の趣味で営業しているというパターンだろう。これこそが既に資本主義を超越しているのだから面白い。貸せばお金が入るのに(当然、賃貸に出しても借り手が居なかったというパターンもあるだろうがここではそのパターンは除外する)敢えて赤字になるほうを選ぶ。赤字になって潰れるというのはありきたりだ。赤字になってもどこまでも潰さない、それを社会起業と呼ばずしてなんと呼ぼうか。

お金がないから潰れました、お金がないと生きていけない。という巨大な戦後資本主義的価値観の中で、お金がなくても大丈夫、という週末カフェ複業は巨大なアンチテーゼである。社会貢献という言葉があるとするならば、、思い込みのブロックを外すのが最も大きな社会貢献だろうと思う。

 

じゃあ、どうやって週末カフェ複業は成り立っているんですか?と聞かれれば

 

いや、そもそも成り立ってすらいない。

 

と答えよう。それが答えなのだ。

 

そもそも店を成り立たせる必要なんかないんだよ、来てくれてる人と雑談して酒飲むのが、この世の最高の至福なんだから、お金を貯めてそれ以外のことを妄想する必要がない。

 

ここまで来ると完全に高知化したということになると思う。

あと先の事を考えてない、というのは当て嵌まらない。土佐弁が日本語の中で最も合理的であるように、生粋の土佐人も恐ろしく合理的である(最強の物理学者寺田寅彦や日本語を死守した馬場辰猪、国家と憲法を誰よりも深く理解した植木枝盛など、合理的土佐人の代表格は枚挙にいとまがない)。

 

お金を貯めてどこかに向かってる人間を見て、“なんちゃじゃない”と一刀両断して毎日酒を飲んでるのが余程、現実的で合理的である。

「世界の芸術思想運動と高知のアートのこれから」0.10

例えば、高知のアートシーンから下記のような運動が沸き起こってくる可能性はあるのでしょうか?それとも、もう既に起き始めているのでしょうか?

①アイルランド文芸復興運動イェーツやジェームスジョイスなどの偉人を輩出し、その後アメリカの様々な芸術にも移民によって影響を与えたとされるアイルランドの芸術運動

②ビートニクヒッピー文化の基となった世界を巻き込んだニューヨークアンダーグラウンド発のウィリアムバロウズやゲーリースナイダーらによる芸術運動。ゲーリーは鈴木俊隆に禅を学び、宮沢賢治の翻訳なども行っている。「禅はユニバーサルなんだ」という名言も彼によるものである。

③シュルレアリスム、ダダイズム主にフランスから始まった芸術、思想運動。日本では中原中也や坂口安吾が有名

④化政文化葛飾北斎、歌川広重、良寛、安藤昌益、本居宣長他多数の偉人を大量に輩出した江戸発、日本史きっての文化芸術思想運動

 

 

高知には既によさこいや土佐弁ミュージカルがあり、ミクロでは土佐弁ブログや土佐弁音楽も若干あります。

伝統的なものとしては、津野山神楽や絵金、物部村のいざなぎ流などがあります。

その他、高知県梼原町を舞台とした宮本常一の土佐源氏を全国で演じられている坂本長利さんもいます。

つい最近のことで言えば、安藤桃子さんがカーニバル00の中で高知は縄文だ、を連呼していました。縄文ブームが吹き荒れる今、高知から縄文的なるものを融合しながら新たな芸術運動として発信していくことは可能でしょうか?○○では過去に高知の縄文性、原始性からの土佐人論を幾度となく議論し蓄積してきました。それを作品と連携しアートとして発信していくことは出来るのでしょうか?

①から④までの過去の広範囲なアートの勃興、そして上記の高知の現状などを踏まえて、高知のアートシーンが今後、これまでとは異なるユニバーサルな勃興、攪拌の時代となることは有り得るのでしょうか?あるいは、そうするためには、今後何が必要でしょうか?(安藤桃子さんの高知での活躍なども踏まえて)

高知で愛されるポンコツ ゲンリ0.09

高知で資本主義が発達しなかったのは、ポンコツ、つまり不完全さが支持される文化があるからである。肩書きや名声よりもいかに雑談が出来るかあるいは如何に返盃が上手いか多いかによって高知の人物評価は為される。

資本主義社会から見れば、圧倒的なポンコツが飲み会の席では支持される。要するに、高知の社会は飲み会の席の拡大版だから、昼の世界でもポンコツが潜在的に支持される。

仕事もそっちのけで、昼間から道中で年寄りとベラベラと延々と喋り倒してる大人がいるとしたら、その人は積極的に支持される。決して、仕事しろとはならない。資本主義的に見れば完全にポンコツであるにも関わらず。

これをもっと深く掘り下げていくと、高知の人間はとにかく自分の主義主張を言いたい、ということに尽きる。それを互いに聞き合えばいいのだが、お互いに異なった主張をするもんだから、さらにヒートアップして、自分の主義主張の深度が深まっていくというポンコツさをもっている。

であるから、下手に年寄りに主張すると延々と返り討ちに遭うというパターンも想定しておくべきである。

これに酒が入ると収拾がつかなくなるということは、高知の人間にとっては折込み済みだが、県外から何も知らずに移住してきた人は、想定も理解も出来ないだろうと思う。高知の自然は雄大でダイナミックだが、高知の人間は決してそうではない。

原理主義的で過激である。ただ、常に言いたいことを言ってるので、他人に対しては優しい、それだけが取り柄である。

高知の郷土愛と原理主義 ゲンリ0.08

金光堂、TSUTAYA高知とものランキングで令和の皇室、反日種族主義、百田尚樹の著作が上位につけている。高知の良く知られていない一面である。

 

うちの両親も優しい両親である(あった)が、原理主義が凄まじい。野菜は絶対高知県産、他県の刺身なんか食えるか、徳島は×、中韓は◯◯だ。とネット右翼よりもガチ保守の価値観。これは保守というよりも、汚いことが嫌いという精神性から来ている。それが結果的に自民党支持に繋がっているが、今回、選挙を闘った松ケンは恐らく、高知の年寄りのほとんどが、この超原理主義者であるという想定を全くしてなかったように思う。

ただ、今回、マーケティングしたところに拠ると、自民党がムカつくから一杯食わせてやりたいという保守層もあったようなので松ケンのほうに票がある程度入っているかもしれない。

要するに、松ケンがスローガンにしていた“誰も取り残さない社会”に反応した県民は自分の周りには1人もいなかったということであり、そんな生易しいことを言ってもひ弱にみられるほど、高知の年寄りは肝が据わっていると見たほうが適切であるということだ。

 

そうでなければ、どろめ祭りのような生死を分けるお祭りなんか誰も受け入れないだろうと思う。鬼龍院花子を想定して選挙戦を闘わなくてはならなかっただろうということでもある。

“天気の子”は南総里見八犬伝か カーニバル0.07

遅ればせながら、“天気の子”をレイトショーで11月22日に公開終了寸前で見てしまった。驚異的作品である。“君の名”を超えるとは思ってなかったし<諏訪大社の元宮を蓼科山山頂に重ね合わせる絶妙なセンスのインスピレーションが凄くて強烈に焼き付いている>、名作が連続するほどの才能は、現代日本社会では無理なんじゃないかな<例えば司馬遼太郎は戦前の日本陸軍での体験が生涯を通じての作品を作り上げる衝動になっていたからこそブレない柱があった>、と感じていたので、驚きでもあった。

大好きなジブリも、〈ナウシカ、ラピュタ、もののけ姫、千と千尋〉以外は、自分とは少々ベクトルが異なっていて、自分的には自分の線とはズレていると捉えてしまう。この“ズレてる”、“ズレてない”の線引きも不思議で、天気の子に関しては、オープニングの2、3分で完全にストライクに入ったので、新開監督が狙ったのではなく、もともとこれがドストライクに入る層が一定数存在すると考えた方が自然?であるとも思える。

 

冒頭部分は、やっぱりイティハーサを連想させる。 カルト的には当然、イティハーサのカルトさの方が上だろう。しかし、それを一般化、あるいは文学化するのは新開監督の才能の賜物だろう。

 

細かい部分はまた改めて追記していこうと思う。

私たちが共有する価値という名のカーニバル 0.06

ちょうど、今週、高知では県知事選と市長選の投票日であるから書いておきたいと思う。

私たちの大きな間違いは、投票して後に民主主義という価値を共有しようとしているところだ。本来は、民主主義的につながり、その結果、そのつながりと価値が社会の一般常識となり社会通念となり、これからの社会を動かす思想となることである。

これを考えて頂ければ、選挙時に右や左とネガティブキャンペーンを行い、我こそはヒーローであるぞと言わんが如く1人の若者を演じ、仕立て上げ、悦に入ることが如何に馬鹿らしいことであるかがお分かりになるかと思う。

 

例えば、私たち日本人が縄文時代より継承してきた、自然を愛し、隣人を愛し、繋がりと良き酒良き肴、そして芸術を愛する心と魂は揺るぎないものである。ここにひとつ、我々は日本人としての大きな価値を共有している。そしてその価値の共有化が私たちの通貨“円”への信頼の根底であるということは言うに及ばないことである。

ただ、この価値の共有が今、崩れて来ていて、他人を騙して金儲けする者、嘘をついて人を出し抜こうとする者、自分よりも弱い立場の人間を攻撃し、強い者に媚びる者。これらは本来、日本の伝統から大きく外れた外道、下賤の者の為せる事とされてきた。

 

それらがひっくり返って下賤が下賤を呼び、日本人の普通の在り方と言うものが見えなくなっているということである。それはひとえに、そのような人物が日本から突如として姿を消してしまったことに大きな要因がある。

 

ただ、我々は立派な日本人を無数に歴史に持っている。その蓄積に感謝し、通貨の価値を保持したいならば、私たちは必死に学問に励まなければならない。単純にそれしか道はない。私たちの先祖も同じように学問を為した。現在、インターネットや本屋に出回るような安っぽい言葉遊びではない。魂から迸る知性の芸術を我々の先祖は幾重にも重ね、私たちの過去に君臨している。

 

それらに対する尊敬と畏敬によってしか私たちは存在し得ない。何かを疑い、何かを批判し、何かに惑わされる。そんな回りくどいことをしなくても我々は我々のままで在りて在るもので良いのだ。其れ同士で繋がれば、ひとりでに選挙は変わり、当主も変わり、社会も変わる。

 

政治のレベルは国民のレベル。会社のレベルは社員のレベルである。

 

一体、我々が何を共有しているか、真摯に見つめ、その価値を金銭に捉われず拡大再生産してゆく。一人一人が、お金に捉われ、名声に捉われ、欲望に捉われていることに目を向け改善していけば、下賤の当主は存在出来なくなる。

 

誰かではない。ひとひとりなのだ。

大津御所体制と邪馬台国 カーニバル0.05

11月6日上梓の藤田達生教授著「明智光秀伝」が凄まじい。自分が以前、ブログで書いたことが全て網羅されている上にさらに細かく広範囲にカバーされている。

専門領域では、既出かもしれないが、高知市大津に存在した大津御所体制の意味をここまで深く理解している研究者の方はおそらく日本中どこを探してもいないだろう。

それほど、一条内基と一条内政を取り巻く人脈は歴史を圧倒的なダイナミックさで動かしていた。藤田教授が書かれているように、もはや本能寺の変が誰が黒幕かというレベルではない。光秀人脈と秀吉人脈が古来より大和の始原を分けてきた土佐と阿波の決定的な攻防に巻き込まれ本能寺の変が起きたのである。

阿波は日本の中心である淡路島を統治し易く畿内にも近い。朝鮮半島からのそして黒潮からの新文明をダイナミックにそして同時に受け取ることによって育った土佐人の進取の気質。邪馬台国の2期作と植生、素潜り分身(入れ墨)文化を考えると黒潮が直撃する沖縄か土佐しか、その国が成立することは有り得ない。

邪馬台国が滅亡したとされる同じ時期に高知香長平野の巨大弥生遺跡田村遺跡も滅亡している。

 

このバックボーンを理解しつつ、土佐一条氏、大津御所体制を見ていくと様々な歴史の真実を理解できる。

 

山崎の戦いで敗北した明智方の武将が多数、長宗我部氏の岡豊城を頼っている。川を挟んで大津御所。北岸には葛木男神社、南岸には葛木女神社。葛城襲津彦が祀られている。一言主が土佐土着の神であったということも以前、書いた。

そしてカモ大御神、アジスキタカヒコネ、土佐高賀茂大社、神刀一口、白鳳の大地震で没した上鴨、下鴨、黒田という地名の巨大な陸地

学術的に証明された日本で唯一の下々からの革命運動、自由民権運動が土佐から起こったのも、偶然とかたまたまなどではない。古代より朝鮮半島、黒潮からの文明をダイナミックに吸収し自由と平等で焼き直し六合(クニ)をとりなすパワーがある。これは私たちが縄文の頃持っていたパワーである。

いつしか、富と権力によって我々の国は徹底的に破壊された。土佐の文化とは富と権力を徹底的に排除する文化である。しかし、それと同化しまた廃除する。土佐が開いていくことは土佐のためではない。みんなのためである。

 

長曽我部元親も葛城襲津彦も卑弥呼も植木枝盛も坂本龍馬も土佐を在地とする人物は皆、連邦制+天皇制を志向していた。

 

だからこそ、元親は明智光秀、足利義昭らとともに新連邦国家を目指していたのである。

 

安藤桃子を分解すると藤原氏が天下を安んじ桃を戴く

 

桃は古代の女神の象徴で有る。

 

縄文時代が1万5千年とするならば弥生時代が始まって今で2千年ちょっと

日本史を俯瞰するならば、縄文への揺り戻しがおこってもおかしくはない。GAFAを弥生の最終形態と見るならば、私たち日本人の脳はそれを良く理解出来るのかもしれない。それほど我々の遺伝子には縄文の記憶が眠っていることに眼を向ける必要があろうと思う。

それは素晴らしい蓄積であり、金銭の貯蓄よりも大変な知性なのである。分離のゲームによって我々の真の価値は収奪され、記憶と遺伝子はリライトされていく。酒を呑み返盃して踊り狂い、豊かな柑橘類を胎内に採り入れれば、私たちの身体はリヴァイヴしていく。

大和の真の伝統が何処に眠っているのか。今となっては手に取るように明らかである。

 

カーニバル0.04

明治時代以降ないし戦後以降、西洋化もしくは近代化によって日本のコミュニティは崩壊してきた。

フランスではコミュニティの再生がマンション住人たちによる自らの手で試験的に行われているところもある。

近代化とコミュニティ、おそらく互いに相反するものなのかもしれない。

一方で、ポートランドやクリスチャニアなど、特殊な民主主義が近代と平衡している場も存在する。

高知市もまた上記と同じように近代とコミュニティが絶妙に並存する都市である。カーニバル00のエンディングで登壇した受田さんの言葉を借りれば、5万人以上の人口を擁すれば、都市ということであれば、30万人口の高知市は大都市であると言える。

その大都市高知のコミュニティは、今でも機能している。何かおかしな政治的、行政的コミュニティではなく、誰かが誰かを掛け値なしで紹介してあげる、助けてあげる、役立ってあげるという自発的な優しさが未だに残っているという点において機能しているのである。

 

そう考えると高知市が世界の中において果たすべき役割は大きい。

 

何故ならば、天皇が世界最古の王朝であるならば、神話の時代から国境が変わっていない土佐は同じようなメンタルを持ち続けたと考えられるので、世界最古のコミュニティである可能性があるからである。

 

例えば、我々の祖先でもあるだろうとされるアイヌや沖縄の文化が近代化とうまく共存しているかと言えば、決してそうではない。

 

だが、土佐人は、不健全な資本主義を除く近代化には積極的に対応している。天皇制を近代化させるための宮廷政治家に土佐人が多かったのは、土佐人の第一特質に進取の気質というものがあるからである。

新しモノ好きなのに不健全な資本主義、コミュニティを破壊するような文化は真っ向から否定して、良いところだけ取り入れて、縄文時代から引き継がれてきた土佐の文化は少しだけ資本主義化した。ただ、それはいつでも棄てられる資本主義化である(吉田類の酒場放浪記が有名になるのは資本主義のおかげである。ただ、あの番組や書籍が失くなるからと言って吉田類さんがいなくなるわけではないように)。そういう意味では、土佐人の中には絶妙な大和のバランス感覚が備わっていると言ってよいだろうと思う。