大津御所体制と邪馬台国 カーニバル0.05

11月6日上梓の藤田達生教授著「明智光秀伝」が凄まじい。自分が以前、ブログで書いたことが全て網羅されている上にさらに細かく広範囲にカバーされている。

専門領域では、既出かもしれないが、高知市大津に存在した大津御所体制の意味をここまで深く理解している研究者の方はおそらく日本中どこを探してもいないだろう。

それほど、一条内基と一条内政を取り巻く人脈は歴史を圧倒的なダイナミックさで動かしていた。藤田教授が書かれているように、もはや本能寺の変が誰が黒幕かというレベルではない。光秀人脈と秀吉人脈が古来より大和の始原を分けてきた土佐と阿波の決定的な攻防に巻き込まれ本能寺の変が起きたのである。

阿波は日本の中心である淡路島を統治し易く畿内にも近い。朝鮮半島からのそして黒潮からの新文明をダイナミックにそして同時に受け取ることによって育った土佐人の進取の気質。邪馬台国の2期作と植生、素潜り分身(入れ墨)文化を考えると黒潮が直撃する沖縄か土佐しか、その国が成立することは有り得ない。

邪馬台国が滅亡したとされる同じ時期に高知香長平野の巨大弥生遺跡田村遺跡も滅亡している。

 

このバックボーンを理解しつつ、土佐一条氏、大津御所体制を見ていくと様々な歴史の真実を理解できる。

 

山崎の戦いで敗北した明智方の武将が多数、長宗我部氏の岡豊城を頼っている。川を挟んで大津御所。北岸には葛木男神社、南岸には葛木女神社。葛城襲津彦が祀られている。一言主が土佐土着の神であったということも以前、書いた。

そしてカモ大御神、アジスキタカヒコネ、土佐高賀茂大社、神刀一口、白鳳の大地震で没した上鴨、下鴨、黒田という地名の巨大な陸地

学術的に証明された日本で唯一の下々からの革命運動、自由民権運動が土佐から起こったのも、偶然とかたまたまなどではない。古代より朝鮮半島、黒潮からの文明をダイナミックに吸収し自由と平等で焼き直し六合(クニ)をとりなすパワーがある。これは私たちが縄文の頃持っていたパワーである。

いつしか、富と権力によって我々の国は徹底的に破壊された。土佐の文化とは富と権力を徹底的に排除する文化である。しかし、それと同化しまた廃除する。土佐が開いていくことは土佐のためではない。みんなのためである。

 

長曽我部元親も葛城襲津彦も卑弥呼も植木枝盛も坂本龍馬も土佐を在地とする人物は皆、連邦制+天皇制を志向していた。

 

だからこそ、元親は明智光秀、足利義昭らとともに新連邦国家を目指していたのである。

 

安藤桃子を分解すると藤原氏が天下を安んじ桃を戴く

 

桃は古代の女神の象徴で有る。

 

縄文時代が1万5千年とするならば弥生時代が始まって今で2千年ちょっと

日本史を俯瞰するならば、縄文への揺り戻しがおこってもおかしくはない。GAFAを弥生の最終形態と見るならば、私たち日本人の脳はそれを良く理解出来るのかもしれない。それほど我々の遺伝子には縄文の記憶が眠っていることに眼を向ける必要があろうと思う。

それは素晴らしい蓄積であり、金銭の貯蓄よりも大変な知性なのである。分離のゲームによって我々の真の価値は収奪され、記憶と遺伝子はリライトされていく。酒を呑み返盃して踊り狂い、豊かな柑橘類を胎内に採り入れれば、私たちの身体はリヴァイヴしていく。

大和の真の伝統が何処に眠っているのか。今となっては手に取るように明らかである。

 

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