高知で愛されるポンコツ ゲンリ0.09

高知で資本主義が発達しなかったのは、ポンコツ、つまり不完全さが支持される文化があるからである。肩書きや名声よりもいかに雑談が出来るかあるいは如何に返盃が上手いか多いかによって高知の人物評価は為される。

資本主義社会から見れば、圧倒的なポンコツが飲み会の席では支持される。要するに、高知の社会は飲み会の席の拡大版だから、昼の世界でもポンコツが潜在的に支持される。

仕事もそっちのけで、昼間から道中で年寄りとベラベラと延々と喋り倒してる大人がいるとしたら、その人は積極的に支持される。決して、仕事しろとはならない。資本主義的に見れば完全にポンコツであるにも関わらず。

これをもっと深く掘り下げていくと、高知の人間はとにかく自分の主義主張を言いたい、ということに尽きる。それを互いに聞き合えばいいのだが、お互いに異なった主張をするもんだから、さらにヒートアップして、自分の主義主張の深度が深まっていくというポンコツさをもっている。

であるから、下手に年寄りに主張すると延々と返り討ちに遭うというパターンも想定しておくべきである。

これに酒が入ると収拾がつかなくなるということは、高知の人間にとっては折込み済みだが、県外から何も知らずに移住してきた人は、想定も理解も出来ないだろうと思う。高知の自然は雄大でダイナミックだが、高知の人間は決してそうではない。

原理主義的で過激である。ただ、常に言いたいことを言ってるので、他人に対しては優しい、それだけが取り柄である。

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