0.05や0.01でも書いたように高知には自由と平等の感性が強く眠っている。その自由と平等の感性というのは縄文の感性である。
じゃあ、なぜその感性が他の地域に残ってないかと言えば、律令国家が広がっていく中で破壊されたのである。はるか東北まで胆沢城が築かれたように、蝦夷は徹底的に収奪された。九州は大陸から近かった為、鹿児島の一部や五島列島や姫島を除いて、縄文が残るという可能性は低かった。残るは沖縄と北海道と四国だが、大和朝廷の国家境界にはこの内、土佐しか入ってない。
国家境界の外側は討伐対象になるが、内側の辺境は島流しの対象になる。何故ならば、“祟り”という同じ文化を共有していたからである。
①大陸の帝国主義がそれほど無尽蔵に入って来てない
②大和朝廷の国家境界内である
③ミクロネシアやポリネシアなどの熱帯地方からの平和な価値観、熱帯ジャポニカなどの作物が伝播する土地
この3つの条件を備えるのは、冒頭の条件も加えると高知ということになる。吉野などの和歌山の一部も畿内から近いが特別な条件の下で守られてきた。雑賀衆や根来衆なども自由平等主義の際たるものだが、明智光秀や長曽我部元親と共に最後まで織田信長に対抗した。
この自由と平等と権威権力の戦いは、弥生時代から戦国時代、幕末を通じてずっとテーマになってきているものである。
であるから、ここからが本題だが、土佐がたまたま大和朝廷の境界内に存在し、自由と平等の縄文の感性を継承してきたが故に、自由民権運動によって日本は近代化出来たし、逆にそれがなければ日本はミャンマーのように軍事政権化していた。現に自由民権運動崩壊後、土佐人が下野してからは日本国はあっという間に軍事政権化した。
薩摩と長州が徳川を軍事的に滅ぼすと躍起になっていた時に、それをゆしたのが龍馬であったことも周知の事実である。
であるから、日本人の多くの勘違いが、現在の長州の政権で民主主義が為されるはずだと思い込んでいることである。ただの一回も長州が民主的であった試しはない。現在の安倍首相の振る舞いは高杉晋作と同じではないか。
歴史を勉強すればこれらのことはすぐにわかることである。