移住フェーズ シフトコード0.41

今日の専らの関心事は、mさんの移住のフェーズに自分がなぜこれほどまでに興味を持っているのかということ、土佐一条氏の祖を生んだ土佐清水の在地豪族の娘を娶った一条氏は古代の皇室の慣しを受け継いでいるのではないかということ、石原莞爾の世界最終戦論と石橋湛山の植民地を捨てることが西洋を結果的に没落させていく論のどちらが正しかったのかということ。おそらく、これら3つの命題は何処かで繋がっている。

 

香港の活動家、周庭氏が逮捕されたことによって、自由と民主主義論を唱える日本人もいるのだが、日本において自由と民主主義が為された事実などなく日本の選挙は偽装民主主義であり、金融資産の世代別の保有率を鑑みても日本は独裁国家と言えるわけで、香港を助けようとする資格がまずあるのか、という部分において疑問である。つまり、我が国は、未だオリエンタリズムから脱していない未熟な後進国なのである。

 

私たちの行くべき道は大日本主義だったのか小日本主義だったのか、そのトレースも反省も失敗の本質の分析もろくに出来ていないにも関わらず、自由と民主主義を語るなどちゃんちゃらおかしな論法である。

 

私たちが今、移住のフェーズでやろうとしていることは、石原莞爾がなし得なかった都市の解体である。松下幸之助の”モノを無尽蔵に至らしめる”という思想は、ABCD包囲網に対する潜在的な反動と対策であったが、もはや私たちはその損益分岐点を超えたと言って良い。つまり、そこからまた私たちは、石原莞爾と石橋湛山まで遡り、これからの新思想を紡ぎ出していかなければならないのである。

もう少し詳しく述べると、もはや我が国は既に資源のない国ではなくなったのである。であるから物質がなくて次へと行くことができなかった時代へ遡り、物質があればできたことをもう一度思い出し、再び挑戦しなくてはならない。

 

東アジアの不安定化は枚挙にいとまがない。それらを参考にしながら私たちがこれからどう振る舞っていくか。それは未知なる世界である。

 

グローカルだグローカルだと言って久しいが、グランドデザイン+リトルワークも既定路線である。既にコロナ禍で世界を飛び回ることは不可能でもある。次になんなのか。

 

IT系やアート系が一気に地方の一次産業へと転身することによって起きる革命である。そこで自然と独裁国家色も薄れるかもしれない。日本は無意識の国なので、無意識の集団が集団思想を形成する。

 

今日、自分も気づいたのだが、既に私たちは都市的なものを選択しなくなったことに気付いた。例えば、カフェやランチをするとき、都市的空間にあるそれらにわざわざお金を払って行こうとは完全に思わなくなったのである。

 

地方のコワーキングや繋がりの集積回路に少しでもプラグイン出来るカフェや飯やを無意識で探すようになってきた。それほど、その類のものが増えたということでもある。

 

そのことによって政治も革命されていくものだと思いたい。日本にまだ少しの可能性が残っているならば

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