“天気の子”は南総里見八犬伝か カーニバル0.07

遅ればせながら、“天気の子”をレイトショーで11月22日に公開終了寸前で見てしまった。驚異的作品である。“君の名”を超えるとは思ってなかったし<諏訪大社の元宮を蓼科山山頂に重ね合わせる絶妙なセンスのインスピレーションが凄くて強烈に焼き付いている>、名作が連続するほどの才能は、現代日本社会では無理なんじゃないかな<例えば司馬遼太郎は戦前の日本陸軍での体験が生涯を通じての作品を作り上げる衝動になっていたからこそブレない柱があった>、と感じていたので、驚きでもあった。

大好きなジブリも、〈ナウシカ、ラピュタ、もののけ姫、千と千尋〉以外は、自分とは少々ベクトルが異なっていて、自分的には自分の線とはズレていると捉えてしまう。この“ズレてる”、“ズレてない”の線引きも不思議で、天気の子に関しては、オープニングの2、3分で完全にストライクに入ったので、新開監督が狙ったのではなく、もともとこれがドストライクに入る層が一定数存在すると考えた方が自然?であるとも思える。

 

冒頭部分は、やっぱりイティハーサを連想させる。 カルト的には当然、イティハーサのカルトさの方が上だろう。しかし、それを一般化、あるいは文学化するのは新開監督の才能の賜物だろう。

 

細かい部分はまた改めて追記していこうと思う。

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