クラスタを超える力 – おきゃくの本質 –

自分に居心地の良い場所。これをひとつのクラスタとする。

それは、家族であり、友達であり、会社の同僚であるかもしれない。

日本人は、このクラスタ内に人を呼び込み、新たな血が入って来なくなると内ゲバに移行する、という傾向を多分に持っている。

西洋人は、この〝クラスタ→内ゲバ〟という構図をあまり持ってはいない。より社会に開かれた感覚として自由と民主主義を共通化する。

日本人は西洋のように近代化を歴史として行っておらず、西洋の感覚を明治時代の日本人が輸入したに過ぎない。日本人が決して悪いわけではない。日本の歴史を客観的に直視し、自由と民主主義が無理だと気づかないことが悪いのである。

日本における〔自由〕とは、表題にある《クラスタを超える力》にある。

その力を持つ地域は、当然、南国の地である。open mind は〈風土〉によっても形成される。

近代化の歴史を持たない東アジアが、なぜ近代化風の文明を持つに至ったか。

それは、土佐人の自由すぎる精神性と主張し過ぎる哲学性にある。

それが【おきゃく】の本質である。

私が私である理由とは、全く逆の、私が私でない状態を生み出すおきゃく。

主張は変遷し、論理性を失っていく。

西洋の哲学者、文明ですら、最終的には論理性を失ってきた。

クラスタを超える力。

今、日本人が注目すべき哲学性。皆、それを望んでいる。

なぜ、自分は報われないのか。それはクラスタを超えられる力を有していないからだ。

自ら進んでおきゃくを荒らす。おきゃくあらしが巻き起こる。

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以上、分かりにくいと思われるところを解説してみました。
また質問等あれば普光江までお願いします。

普光江

高知Universal Stock

古典的な経済学だが、マーシャルのフローとストック思想は重要である。

高知県の戦後経済を考えた場合、単にストックが不足しているということができる。

高知県にそれほど大きな産業というものはないが、多くの場合、それらの経営思想は、東京なりアメリカなりのフローを移植した形での運用となっている。つまり、極言すれば、高知が高知であった戦国期や幕末期の高知独自のオリジナルな思想が今は、全くない。そして、それが高知が経済的にも文化的にも発展しない、停滞している原因なのだ。という結論に達せざるを得ない。

このような経路を辿らずに現土佐人の思考ループは、国から予算をもらえないから高知県は貧乏なんだ、とか、そもそも田舎だから何をやっても無駄だ、とかになりがちである。

われわれ高知県人がやるべきことは”ストック”を創ることである。この”ストック”の質がいかなるものか、下に述べる。

①中国文化と東北の亀ヶ岡文化を集約した土佐市の縄文中期の居徳遺跡

②高知室戸で金星を飲み込んで大成した空海

③他の戦国武将が悉く源平ルーツを宣言していた時代にひとり秦の始皇帝の末裔と公言していた長宗我部元親

④なんの実績もないのに船で世界中と貿易するという夢を語り続けた坂本龍馬

土佐の風土とそこから生まれた上記のような典型的な思想・人物をあげてみると、この土地に根付く思想がUniversalなものであることに気付く。Universalとは、日本人がよく使う”国際的”とは全く異なる意味の概念である。

そもそもUniversalとは、国境を意識させない普遍的な感覚のひとつである。

その≪Universalなストック≫を蓄積していかなければいけないというのが、この記事の本旨である。

そして、このUniversalストックが何を意味するかと言えば、”Universalな思想を持った人間のストック”ということになる。

それを可能足らしめる思想的なダムが哲学カフェであり、夜学会・DOMINGOなのではないだろうか。

そのストックがある一定上溜まった時、初めてフローが流れ始める。歴史として認識された事象で言うならば、それが自由民権運動ということになる。自由民権運動は完全なるストックが存在する。そのストックを語ることなしで高知の経済発展は語れない。

原始の知性と野性

高知県財政の自主財源が30%しかないことを考えれば、高知県全体としては、ボランティアをやっているどころではないというのが当然の解である。外貨を稼がなければならない。高知県にとってそれが唯一神にならなければならないことは0.5秒で答えが出る。

しかしながら、高知県人はボランティア精神が旺盛で無料化の全体主義化が時に当たり前となることがある。

なんでもお金に換えてしまう都市から地方都市高知に帰ってくると毎回驚かせられるが、高知がビジネスが育たない土壌であると嘆いていても仕方がない。それを革命しなければ、南海地震後、高知市は中央部の浦戸湾に市民1/3の10万人の死体が浮かび(これは最悪の場合の想定だが最悪の想定が出来ないものが最高の結果を出せるはずがないというのは簡単なロジックであるし、東京電力のケースを分析すれば、戦後日本人の科学的思考というものを100%疑問視せざるを得ない)、復興予算もとれず、一文なしどころかギリシャよりも酷い借金を抱えた世界でも類を見ない債務超過自治体となる。

政府からは、核のゴミ捨て場に認定され、新たな基地建設地となり、除染事業に名を借りた不適切な公共事業の跋扈する汚れた土地と化す。

それでも良いのか?と問えば、ほとんどの高知県人がそこまでは考えられていない。

ただ、津波サミットで発言していた高校生を始めとする若者は、多くの現実を正しく受け止めている。

ただなんとなく、自分の名声や名誉のために行動するのではなく、子や孫のことを考えて行動するのが普通の日本人のとる行動である。

高知県の財政構造を変えなければ、高知県には一番早い死が訪れる。ということは、戦後体制を一番早く変えなければならないのは、当然、高知県となる。この当然の帰結(雨が降ったら地面は濡れる、というような)を理解しえない人間が存在することにも驚きを隠せない。

資本主義構造を変えるということは、高知県にとって夢とか理想というレベルの問題ではない。それをやらなければ、地震後、子どもたちが99%の確率で飢えるのである。

東日本大震災の20倍以上の損害を出すと予想される南海トラフ地震後も国の財政が復興予算を組めると考えるのは、頭の中身がお花畑としか言い様がない。

正しく怖れるという原始の知性と野性をいつから日本人は失ったのだろうか。枝葉末節の事象に時間を浪費し、1日でも早く気づけば助けられた命を日々、見捨てている。

構造を変える行動で繋がっていこうではないか。変革できない行動は、エネルギーの浪費、無駄でしかない。

社会起業によるコミュニティビジネスのみが強欲資本主義を凌駕し、高知県が独自性を活かしつつ世界レベルで戦い優っていける道である。

イザナミ、光明子、子供食堂

資本主義が悪い方向に傾いたウォール街発”強欲(Greed)資本主義”がグローバリズムといかにも尤もらしい名を冠して広がっていったのも束の間、ドナルド・トランプ第45代アメリカ合衆国大統領の誕生によって、”レクサスとオリーブの木”は完全にその矛盾を露呈した。

悪いのは、資本主義でもプロテスタンティズムでも武士道でも騎士道でもない。健全な資本主義というバランスを失ってしまったのが、この世界の不調和の原因なのだ。

われわれ日本人は、もう一度”資本主義”というベールに包まれた価値をとらえなおす必要がある。2人いれば2倍以上、3人いれば3倍以上の効率を生み出すはずの資本主義がなぜ2人いるのに、生産性が1/2になったり、1/3になったりするのか。その原因を究明しなければならない。

と同時にわれわれは、何のために生産しているのか?の目的すら持ち得ていない状況に追い込まれつつある。松下幸之助が”無尽蔵に物質を至らしめる”と言って以来、その目標は達成され、誰もその後の日本哲学を唱えられずにいる。

そもそもその”物質”とは、大東亜戦争でABCD包囲網で日本国が国内へ導きいれることができなくなってしまった”物質”である。それは単に”石油”という意味ではない。備中高松城の水攻めに遭っても絶対に降伏しない・負けない物質のことである。

つまり、われわれの戦後資本主義はABCD包囲網ですら打ち破ることのできない強い国家を作るために作られてきたはずである。それが今やどうか。経団連の強欲資本主義者や自民党の政治屋たちは単なる保身と自己繁栄のために若者や弱者を包囲し、搾取し、骨抜きにするための施策を悉く発布し、ウォール街の先兵に足り得る西洋の植民地主義の亡霊の如く太平洋を彷徨っている。

大東亜戦争の清算をするならば、われわれがわれわれの資本主義社会主義をもって世界に対して独自体制と世界観を発信していかなければならない。それは決して憲法改正やTPP締結などの枝葉末節の未来ではない。

光明皇后が設立した悲田院や施薬院、野口英世の愛ある行動が大和の資本主義の源ではないか。土佐南学の祖、谷時中は仏教から還俗し、畑を開墾し、それを息子の学費とした。これが日本経済思想の興りである。

資本とは個人資本ではなく社会資本であることは当然至極のことである。それを強欲資本主義に流され、日本人が個人資本と解釈するようになったのは、全くもって勉強が足りないからである。社会に資本とシェアできる価値があるからこそ私たちは等価で価値を交換できる。それが通貨を通貨足らしめる意味である。外国とは歴史も価値も異なるからこそ、そこに為替が発生する。どれだけ日本の金(gold)が不当に外国に流出したかを考えれば、為替の重要性に気づくはずである。

逆に、為替が必要のない普遍性の高いものは、愛や平和や安寧などの形而上の価値である。為替が必要のない価値観が似かよった民族・国家同士は同一通貨圏・共栄圏を確立できる。これがEUやTPPに先んじて70年以上も前に私たちの先祖が打ち建てた思想体系である。早すぎたからこそ実現することは叶わなかった。

光明子がキリシタンであったとする説があるように、神道や仏教、キリスト教には当然のごとく真理の近似値がある。われわれが大いなる和のバランス感覚で真理を分かち合い世界の安寧に貢献していくことこそ日本人のとるべき道である。

かつての日本型経営の企業は、多くのメセナ活動を行い、外国企業ですらその活動の層は厚かった。その社会貢献の資源を内部留保で囲い、こそこそと役員報酬にするという厚かましい私利私欲はまさに日本人の質を落としたと言える。公も皇も神もすべてコウである。神聖なものを失い、形而上の価値を見失ってしまった民族に明日はない。保育園や幼稚園をうるさいからと言って排除するような餓鬼集団が発生している以上、われわれは闇を照らしていかなくてはならない。イザナミが1500人の子を産ませようとイザナギに言ったのは他でもない、この四国である。

津野一族五山文学の双璧

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

DOMINGO新年会も無事に終わりました。書初め行事にも参加しました。

今日は、津野に関することをひとつ

津野氏出身の絶海中津、義堂周信が鎌倉時代から室町時代にかけての五山文学の双璧とされている。

津野氏は913年、伊予経由で土佐国に入り、高岡郡の津野山を開拓したとされるが、その場所は判然としていない。

祖は藤原基経。この後裔一族として絶海中津は、高知県津野町に1334年に誕生する。

重要な点がふたつほど。

ひとつは津野荘が賀茂と深いつながりがあったこと。そして津野荘が、土佐郡の潮江荘のかわりに下鴨神社の荘園になっていること。

このつながりの中で、絶海中津、義堂周信が夢窓疎石に仕えたということになる。夢窓疎石は高知市の五台山と深い関係がある。

もうひとつ重要なことは、この時代、京都・鎌倉・高知の知的レベル、あるいは文芸レベルが日本の中で最高レベルで保持されていたことを忘れてはいけないだろう。

後に現在の神社神道の祖となった山崎闇斎は、19歳の頃、比叡山から土佐の吸江寺に移り、野中兼山らとともに東洋町出身の谷時中から土佐南学を学んでいる。その後、山崎闇斎は垂加神道を完成させる。

津野氏は土佐七雄である一条氏、大平氏とともに文人とされており、独自の交易ルートを持っていたことは疑いがない。大平氏は仁淀川河口域を拠点とし、京都と密な交易を行っていたとされ、一条氏はもとより五摂家なので情報を得るまでもない。しかしながら、津野氏の文人であったという地位は、未だ交易ルートが明らかになっておらず、不明な点が多い。

しかし、この謎を解く3つの鍵がある。ひとつに津野郷は、四万十川の源流域であること。ふたつめはすぐ北側に仁淀川上流域もあり、せり立った北山から南を望めば、すぐに須崎湾。仁淀川町を北に越えればすぐに伊予国であった。という3点が津野氏の独自性を語るうえで重要だと思う。

津野郷の神社は、ほぼ三嶋神社系で伊予一之宮と信仰を同じくしていて、山中に位置しながら、瀬戸内の村上水軍と交流しながら須崎湾に水軍を保持していた・しようとしていた、という可能性も否定できない。

しかし、一条氏と長宗我部氏に敗北し、最後は長宗我部の家督争いにも巻き込まれ、津野一族である中平清兵衛が山内に、お家断絶の一部始終を語ったとされる。絶海中津が没しておよそ200年後の話である。

その後、土佐は山内の支配に甘んじ、華麗な文芸都市の地位から転落し、司馬遼太郎が描いたような野蛮な田舎侍の土地というレッテル貼りがぴったりのただの田舎に変質化してしまう。

幕末、坂本竜馬が無血開城を強く促したのも、この文芸史の流れと無関係ではない。五山文学の復興は、幕府の外交文書を起草するという必要性から生じており、絶海中津は1376年に洪武帝から謁見を許され、日本における政治家や武将から一目を置かれる存在となっている。

当時の将軍足利義満からも信頼を得、彼の院号でもある鹿苑院を任されている。

つまり、高知市五台山や土佐南学、津野氏、一条氏を巡る文芸の糸は、少なからず日本の外交に影響を与えているわけであり、坂本龍馬の外交手腕もこの流れから決して免れるものではないということである。さらに言えば、坂本龍馬の平和主義や自由民権運動の平和主義は、仏教から還俗した谷時中らが産み出した仏性の哲学が土佐の行動哲学と結びついた土佐南学と深いつながりがあるということであり、何度でも蘇って来る奥の深い知性なのである。

縄文中期の居徳遺跡(高知県土佐市)から最も古いとされる戦傷人骨が発見され、東北の亀ヶ岡文化と中国大陸との交易を証明するものも発見されたように、土佐は古代から海に開けた汎アジアの平和主義者の交易文芸都市だったのである。

それは単に憲法9条を唱えれば戦争はなくなるというような空想平和主義ではない。知的な外交と貿易を行うことによって争いを減じていく攻撃的平和主義である。土民国は、外国の方と直接、国の枠にとらわれず攻撃的平和主義を深めていきます。

私が土民国を代表しているわけでも代理で述べているわけでもありません。土民国の国民としてひとつのベクトルを描いているだけなので、皆さんも自由に発言・参加してください。右でも左でもど真ん中でも受け入れるのが国であり、郷土であり、地域社会なのです。その当たり前のことが普通にできなくなったのが今日であるというだけのことなのです。

他国に支配されるかもしれないという怖れは、自分の国や郷土の独自性を深く知らないから起こる。土佐は古代より強烈な独自性があり、大地震が来ても地球が壊れてもこれからも続いていきます。そのひとつのピークが、絶海中津、義堂周信であることに何ら疑いはないだろうと思う。

怖れは常に無知から始まり、怒りは常に過度な期待・勘違い・妄想の類から生まれます。

ちなみに鹿苑院の場所は、同志社大学本部のある場所です。

「ことも」食堂

先日の忘年会から、「ことも食堂」の話で盛り上がっております。
私も自分なりにブレインストーミングしてみました。

ターゲットイメージを明確にする
「ことも食堂」の基本的な仕事は「ごはんを食べさせること」です。
ごはんを食べられない子・人というのは、どういう人なのか?
ネグレクトなのか?貧困なのか?
ネグレクトであれば、児童相談所やソーシャルワーカーなどに繋げる必要がでてくるでしょう。
また、貧困であれば、家族も貧困状態に陥っている可能性が高いので、家族にもしっかりとした食事をしてもらう他、就業や福祉に関する相談員と連携する必要がありそうです。
つまり、「ごはんを食べさせること」を通して、上手にターゲットの人々とコミュニケーションをとり、様々な人々と連携していかなければならないのです。
ただ「食べられない子供たちを助けたい!」と意気込むだけではなく、「ごはんを食べさせること」を通して最終的にどのようなことを達成したいのか、ということを考える必要があるかと思います。

様々な障壁に備える
協力者や食材を集め、場所を用意して実際に食事を提供する、ということ自体はそんなに大変ではないと思います。
おそらく、難しいのは「実際にごはんを満足に食べられていない子・人に来てもらうこと」だと思います。
ここでも、上記のターゲットの明確化が重要性を帯びてきます。
ターゲットを「ネグレクトあるいは貧困によってごはんを食べられない子供」と設定した場合、このターゲットにどのようにリーチするのでしょう?
新聞や雑誌でPRをしても、あまり意味がないように思われます。
すると、児童相談所やソーシャルワーカー、学校などに情報を流すのが手っ取り早いかもしれません。
しかし、仮にターゲットの子・人に情報が届いたとしても、実際に来てくれるとは限りません。
知らない人間(やその人の持って来るうまい話)を警戒するかもしれないし、自分の状況に対する周囲の感情を気にして来られない場合もあるかもしれません。
いずれの場合も、相手の事情や気持ちを慮ることが重要になります。

また、ターゲット以外の人にどのように対処するか?ということも考えなくてはいけません。
どんなルールにも抜け穴があるし、どんなコミュニティにもズルをする人はいます。
これに関しては、あるていど織り込み済みで考えておく必要があると思います。
あまり排他的になったり、ギスギスしては元も子もありません。
ただ、その「ズルをした人」がそのことを恥じてしまうような、素敵な空間を作ることは意識してみても良いと思います。

どのような場所にしたいのか
一口に「ごはんを食べる」と言っても、そこには色々なものが付随しています。
「食育」「しつけ」「コミュニケーション」「身体的欲求の充足による精神的欲求の自覚」などなど…
「ごはんを食べる」ことを通して、子供たち・人々がその時間を充実させ、さらに色々なことに気づき興味を持つきっかけになる場所になれば素敵だな、と思います。

また、貧困というのは、何かの歯車が一つずれただけで、誰でも陥る可能性のある状態です。
そうなったときに、お互いに助け合う仕組みを作っておく(共助)と、もちろん自分も安心です。
「情けは人のためならず」ということですが、それだけではありません。
「自分が、自分よりも大きいもの(社会など)を作っているんだ」、という意識を社会の人々の中に育むことが大切だと思います。

ということで、皆でわいわいブレインストーミングできたら良いですね!

Local × Local = グローカリズム

DOMINGO忘年会も無事に終わり、土民国も2年目に突入。こども食堂の話でもちきりです。

私たちの親の世代は、海外と言えば”国際化”だったのですが、今はもはや海外も国内。どういうことかと言えば、日本のサブカルチャーが海外に移植され、そのカルチャーで育ってきた若い人たちは、もはや日本人と感覚が同じのため、外国人というカテゴリーすら感じない時代になっています。

文化的障壁と言えば、言語のみで、それ以外に私たちを遮るものはありません。文化が同じであれば言語が少々異なっても意思疎通は簡単です。古ヨーロッパの先住民族であるケルト人とは、同じ文化を保有する他民族多言語の一大文化圏に居住していた人たちのことを指します。

このケルト文化と日本文化はアニミズムという文化人類学的なカテゴリーにおいて近接したものを持っています。なので、ヨーロッパの人たちにとってケルト的アニミズムで目の色、肌の色、宗教意識が異なる人たちと同じ文化圏を形成することは全く初めての経験ではないのです。

現在、ストックホルムと高知でLocal×Local活動を展開していますが、これは決して国際交流と呼ばれるものを目指してはいません。最終的に文化統合・通貨統合を目指しています。つまり、文化水準や価値観が似ている国であれば、たとえ遠隔地であったとしても積極的に統合していくべきだと考えています。

独裁者が次々と生まれている現在の世界情勢の前提には、”移民問題”というisueがあります。その問題を解決することは途方もない努力が必要ですが、それとはまったく逆のベクトル。移民する前に、まず”仮想国”を作ってしまおうというのが土民国のベクトルです。

国家がまず存在して、移民を受け入れるか受け入れないかを議論するのではなく、こちらからまず国民をスカウトしに行って国家を作っていこうということです。何事もそうですが、待ち・受け身の状態になってしまうとロクなことが起こりません。自らが積極的に先手でうって出る。国土の狭い資源のない我が国の大戦略としては、まさにこれしか生き残っていく道はありません。

座して、ロシア・中国・米国のいけにえにならぬよう積極的に活動できる日本人を求む、です。ロシア革命を扇動した明石元二郎は10個師団or20万人に匹敵する仕事をひとりで完遂した日本人の中の日本人です。

ヒッタイトの共通言語は6言語です。北欧3か国と日本が結合しても4・5言語。遠くヒッタイトにすら及びません。ITというクラウドな環境・機器を持ちながら明石元二郎、ヒッタイトにすら及ばない現代のわたしたち。ミスターチルドレン

セントラルキッチン・レベレーション

高知は、市場の文化が他地域よりも濃く残り、大企業型のサプライチェーン・マネジメントを破壊できる唯一の地域である。

つまり、他地域では、強欲資本主義型のサプライチェーンに対抗する手段がない。もっと詳しく言えば、高知においては農家・農民ひとりひとりが、金で買収されることを嫌う傾向が強くあるということである。裏を返せば、ひとりよがりな変わり者が多いということである。これを土佐弁で”もがり”という。

この価値観がないと、強欲資本主義に対抗する理由がない。理由がなければ反対できない。これは真理である。

しかし、土佐には”もがり”×”ようだいこき”の層が一定層存在するので、強欲資本主義に対抗する理由がある。その層にウォーク・インするという意味で。

ここで言うセントラル・キッチンとは、日曜市をさらに発展させたものである。さらにその芽は出始めているが、ここではその思想に少し触れる。

土佐人が目指すセントラル・キッチンは日曜市とひろめ市場が融合し、さらに発展したものでもある。

高知県下から集まった食材と食文化がセントラル・キッチンで披露される。強欲資本主義でいうところの”セントラル・キッチン”とは、別の場所で調理したものを自分のところで出すという手法である。これは経済規模の拡大がその本質に横たわっている。

土佐人の地元食材原理主義は非常に強く、極度な中央集権構造を可能にしている。しかし、それは金のためにそれを目指す東京のような資本主義型でも、宗教意識のルーツ保持を宣言するバチカンのような宗教組織型でもなく、強烈な”食に対する執着”と”全体主義的平等主義”である。

これが穀物神話である日本神話と寸分違わぬ宗教意識であることに深く思い至れば、どこから日本神話が始まったかを理解するのはいかにも簡単なことであろうと思うのである。

土佐における穀物神話は今日も明日も続いていく。おきゃくの中で。。

何が言いたいかというと様々な地域で多くの流れが散発的に生まれているが、重要なことはその流れが資本主義型の”東京”を介さずにどこで中央集権化するか、である。そこには、思想と土壌が必要である。それは一朝一夕で熟成されるものでは、当然ない。

食べる食材は、すべて高知産で。野菜原理主義、ここに誕生。