津野一族五山文学の双璧

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

DOMINGO新年会も無事に終わりました。書初め行事にも参加しました。

今日は、津野に関することをひとつ

津野氏出身の絶海中津、義堂周信が鎌倉時代から室町時代にかけての五山文学の双璧とされている。

津野氏は913年、伊予経由で土佐国に入り、高岡郡の津野山を開拓したとされるが、その場所は判然としていない。

祖は藤原基経。この後裔一族として絶海中津は、高知県津野町に1334年に誕生する。

重要な点がふたつほど。

ひとつは津野荘が賀茂と深いつながりがあったこと。そして津野荘が、土佐郡の潮江荘のかわりに下鴨神社の荘園になっていること。

このつながりの中で、絶海中津、義堂周信が夢窓疎石に仕えたということになる。夢窓疎石は高知市の五台山と深い関係がある。

もうひとつ重要なことは、この時代、京都・鎌倉・高知の知的レベル、あるいは文芸レベルが日本の中で最高レベルで保持されていたことを忘れてはいけないだろう。

後に現在の神社神道の祖となった山崎闇斎は、19歳の頃、比叡山から土佐の吸江寺に移り、野中兼山らとともに東洋町出身の谷時中から土佐南学を学んでいる。その後、山崎闇斎は垂加神道を完成させる。

津野氏は土佐七雄である一条氏、大平氏とともに文人とされており、独自の交易ルートを持っていたことは疑いがない。大平氏は仁淀川河口域を拠点とし、京都と密な交易を行っていたとされ、一条氏はもとより五摂家なので情報を得るまでもない。しかしながら、津野氏の文人であったという地位は、未だ交易ルートが明らかになっておらず、不明な点が多い。

しかし、この謎を解く3つの鍵がある。ひとつに津野郷は、四万十川の源流域であること。ふたつめはすぐ北側に仁淀川上流域もあり、せり立った北山から南を望めば、すぐに須崎湾。仁淀川町を北に越えればすぐに伊予国であった。という3点が津野氏の独自性を語るうえで重要だと思う。

津野郷の神社は、ほぼ三嶋神社系で伊予一之宮と信仰を同じくしていて、山中に位置しながら、瀬戸内の村上水軍と交流しながら須崎湾に水軍を保持していた・しようとしていた、という可能性も否定できない。

しかし、一条氏と長宗我部氏に敗北し、最後は長宗我部の家督争いにも巻き込まれ、津野一族である中平清兵衛が山内に、お家断絶の一部始終を語ったとされる。絶海中津が没しておよそ200年後の話である。

その後、土佐は山内の支配に甘んじ、華麗な文芸都市の地位から転落し、司馬遼太郎が描いたような野蛮な田舎侍の土地というレッテル貼りがぴったりのただの田舎に変質化してしまう。

幕末、坂本竜馬が無血開城を強く促したのも、この文芸史の流れと無関係ではない。五山文学の復興は、幕府の外交文書を起草するという必要性から生じており、絶海中津は1376年に洪武帝から謁見を許され、日本における政治家や武将から一目を置かれる存在となっている。

当時の将軍足利義満からも信頼を得、彼の院号でもある鹿苑院を任されている。

つまり、高知市五台山や土佐南学、津野氏、一条氏を巡る文芸の糸は、少なからず日本の外交に影響を与えているわけであり、坂本龍馬の外交手腕もこの流れから決して免れるものではないということである。さらに言えば、坂本龍馬の平和主義や自由民権運動の平和主義は、仏教から還俗した谷時中らが産み出した仏性の哲学が土佐の行動哲学と結びついた土佐南学と深いつながりがあるということであり、何度でも蘇って来る奥の深い知性なのである。

縄文中期の居徳遺跡(高知県土佐市)から最も古いとされる戦傷人骨が発見され、東北の亀ヶ岡文化と中国大陸との交易を証明するものも発見されたように、土佐は古代から海に開けた汎アジアの平和主義者の交易文芸都市だったのである。

それは単に憲法9条を唱えれば戦争はなくなるというような空想平和主義ではない。知的な外交と貿易を行うことによって争いを減じていく攻撃的平和主義である。土民国は、外国の方と直接、国の枠にとらわれず攻撃的平和主義を深めていきます。

私が土民国を代表しているわけでも代理で述べているわけでもありません。土民国の国民としてひとつのベクトルを描いているだけなので、皆さんも自由に発言・参加してください。右でも左でもど真ん中でも受け入れるのが国であり、郷土であり、地域社会なのです。その当たり前のことが普通にできなくなったのが今日であるというだけのことなのです。

他国に支配されるかもしれないという怖れは、自分の国や郷土の独自性を深く知らないから起こる。土佐は古代より強烈な独自性があり、大地震が来ても地球が壊れてもこれからも続いていきます。そのひとつのピークが、絶海中津、義堂周信であることに何ら疑いはないだろうと思う。

怖れは常に無知から始まり、怒りは常に過度な期待・勘違い・妄想の類から生まれます。

ちなみに鹿苑院の場所は、同志社大学本部のある場所です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です