酒二バル0.03

桃子さんを見ていると(良い意味で)権威を持つ者こそ思想を完遂できるのだ、と感じる。良い家柄に生まれてアートの王道を学んで、しかも天真爛漫で人格も人望も良い。その立場だからこそ、出来ること。そして、表現したいという根源的衝動と表現手段を持っている。そういう方が、この時代の今、高知に来てくれていることに素直に感謝したい。

 

戦後の日本社会では、1番手が切り開き、2番手が盗んで儲け、3番手が先達をこき下ろして善人づらするという構造が横行している。少なくとも江戸時代までの日本では先達は敬意を表され、今のような屈折したアメリカナイズの社会ではなかった。だからこそ、0、5ミリでも自分より進んだことをやっている方に出会ったら自分は敬意を表したい。決して自分はヒロイズムから安藤桃子を称賛しているわけではない。

 

0、5ミリでも進んでる人間に出会うと自分の思想を客観視出来ることに気付いた。東京でやっていたことを高知に持ってくることはWebがあれば容易だし、自分を支持する層が田舎に少ないのは、自分の支持層がニッチなマーケットであるからだと捉えていた。

この発想が間違いであることに気付いた。桃子氏のイベントは高知ではうけても東京ではうけない。だからこそのグローカリズムなのである。

これまで田舎でうけるものと言えば、田舎臭い地元発の洗練されていないイベント、もしくは東京からの有名人をヒーローに仕立て上げた七面倒くさいありがた迷惑なひとりよがり哲学押し付けイベントであった。

ここから抜け出したイベント2.0が突然やってきたのだ。突然ではないのかもしれない。0、5ミリの上映会の時から、桃子さんは試行錯誤していたのかもしれない。自分は見ていないので知る由もない。

このイベント2.0への突然の進化もかなりの驚きだ。1段上に上がったわけではない。何段も一気に飛ばした感がある。

 

日本人の才能はひょっとしたらこういうところにもあるのかもしれない。物事を深く理解せずに雰囲気でやり遂げてしまう。日本で唯一の革命と学術的にも証明された自由民権運動であるが、多くの場合は、ただ集まって酒を呑みたい土佐人が自由と平等を酒の肴にして騒いでいただけという意見もある笑

 

がー、とかブーとかの擬態語で押し切ろうとするのは、性根、土佐人と同じであると思う。

川ニバル0.02

皮は誰にでもあって、美しい川はそれほどなくて、動物の革で造られたモザイクはいくらでもある

 

可愛らしくすれば、可愛いがられ、可哀想な人には乾いた風が吹くかも知れない

 

喉が渇けば、川で潤せばいい

 

川は圧倒的に自分たちの味方だ

 

それを汚すなんて一体、誰の仕業なんだろう

 

皆との繋がりはまるで川のよう

 

川の字になって寝転ぶ場所も時間も余裕もなくなった私たち

 

大切なものを失ってまで、何を手に入れたくて進んでいるんだろう

 

汚れた川の先には何も待ってないことなど、川で遊んだことのある人なら当然、知ってる

 

護岸してダム作って、生き物減らして、水害減ったと大喜び

 

高速出来て、お店が増えて、都会になったと大喜び

 

還って来ない大切なムード、サウンド、スターライト

 

おかんが言ってたよ、一粒のお米に7人の神様がいるんだってよ

 

今じゃ、なんでかモンサント

 

 

どうしっちゃったのかね、日本

 

 

乾いた風が今日も吹く

カーニバル0.01

未来の党以降、日本および日本人に何も期待しなくなった自分が、オープニングセレモニーに引き続き2日後のクロージングセレモニーにも足を運んでしまったということ自体が自分にとっての大革命であるように思う。

細々と自分の活動は続けているものの、自分が生きている間に日本は変わらないと考えていたその考え方を否定するのには充分なシンポジウムであった。

受田さんという方が、あそこまでの認識を持っておられることも全く知らなかった。

そこに田原総一郎という人物が入ったことで、失礼だけど、やっぱ東京って古いな、ダサイなと思わせるには充分な時間だった。田原総一郎が別に東京を代表してるわけではないけど、自分はこんなに偉い人とこの前も話しをしたとか、自分はこんなにも歴史を知っていると言わんばかりに知識を披露する様はまさに戦後の日本を象徴してるし、ほんとに気持ち悪いな承認欲求すごいんやな、と本気で思ったし、あ、だから、自分は東京にいたくなかったんだ、いなくて良かったわ、と再確認も出来た。

活動を一緒にする仲間は数多くいても、深い部分で同じ方向を向いているなと感じるのは、実際1人である。彼もアート的な感性を持っていて外国経験も長く東京から高知への移住者である。彼もまたアートで地域を変えていこうと考えている。

まさに今日のクロージングシンポジウムで話題にのぼったデザインの力である。それと昨日書いたこと、そして人間の関係性の力のこと。ここが一致するのは、価値観が多様化する世界において奇跡的なことだと思うが、その奇跡の一致が高知で急速に起こっているのは、その力が結果的にひとつの力に収斂していくことを哲学的に既に意味している。

 

誰が凄い、俺がすごい、などと言ってる場合じゃなくて、頭でわかっていても日本中がやっていることは結局、俺を認めろ、私を認めろ、のパワーである。それと関わりたくなくて、高知に帰ってきたら、今度は桃子さんが新しいものを持ってきてくれた。茂木健一郎さんが、それは何なんだ?とわからなかったようにそれを理解するには、何かの条件があるらしい。それは私にもわからない。ただ、ひとつ言えることは、皆、外国経験が長いということである。

 

ここで桃子さんとベクトルを共有して悦に入るというのは自分にとっての最適解ではない。最も信頼するその友人ですら、自分は半年に一回ほどしか会っていない。同じ高知に住んでいたとしても。なぜなら、互いのベクトルがこれまでの特殊な経験によってもたらされ、これからもその特殊な経験が独自のスタンスによって維持されていなければ、そのベクトルは保たれないと互いに(少なくとも自分は)確信しているからである。

それが何が楽しいかと言えば、同時代にしかもこの高知に存在しているというだけで楽しいのである。思想家、アーティストとはそういうものではないだろうか?貪り読んだ書籍群の中において出会えるが、現実には自分と同じ存在となんて出会えるはずがないというのが読書家の大勢の意見ではないだろうか。

 

アイルランドのゴールウェイ、イェーツの墓に詣で、アイルランド文芸復興運動をまさに高知でやらなければいけない、やるべきだ、やる必要がある、と現地で感じたこの妄想や幻想に似た感覚を共有できるのは、そういう意味で驚異的で非現実地味ている。それが現実化している今日、この同時代性は神ってるとしか言いようがない。

 

受田さんがおっしゃってた√Nの法則は本当によく理解できる。資本主義が人間存在を矮小化するというのは周知の事実であると思う。だからこその承認欲求。人間性の回復というのは今までもアートの世界では何度もテーマとして浮上したと思うし、自分も何度かレコンキスタ(失地回復)やレッセフェールを用いて述べてきたつもりである。ただこれはほとんどの人にとっては妄想の類である。

地方創生というものが共同幻想であるならば、よろしくそこでうごめく俺たちは映画のキャストということになるだろうか。明治維新もまた映画のような事象だろう。今日も何度か話題にのぼったように、龍馬が持った国家観、勝海舟なども含めて当時は日本国中で10人にも満たなかったと言われる。

 

これから起こる国家を超えた連邦制。一体、誰が信じるだろうか?リブラが否定され、その可能性は天によって持ち越されたが、すでにわれわれの欲求と情報は国などという枠にとらわれていない。なぜ人間は、すでに存在していないものをあたかもあるものとして認識するのだろうか?

 

高知に存在する”自由と平等”は世界のどこにもない”自由と平等”である。中江兆民が第三共和制のリヨンからルソーを持ち帰ったわけではない。土佐に古代から存在する”自由と平等”をルソーを引用して説いただけである。だからこそ兆民は植民地主義にひた走るフランスを見限ったのである。

 

俺たちが持ってるこの”ブロックのなさ感”

 

ここで言う俺たちってなんなんだろうか?自分の場合は父親が激しくそうだったから、遺伝としか言いようがない。ただ、それを遺伝と断定してしまえば、それを持っていない人が可哀想なことになる。それは土佐人として機会均等という面から見て、不平等な見解である。

 

だからこそ世界中のみんなは、ここに来て”俺たちの持ってるこのブロックのなさ感って何?”と過去形で問うて欲しいのである。それが俺にとっての平等になる。

 

安藤桃子さんの中にあるもの

先日、高知で開催された安藤桃子さん主催のカーニバル00というイベントのオープニングシンポジウムに行ってきた。日本において”シンポジウム”というものが、形骸化してから久しい。それはアートにおいても同じである。アートが資本主義に負けるなど、本来あってはいけないことが日本では簡単に起きる。そして日本人はその可笑しさに気付かない。

しかし、桃子さんのこの会は、とてつもなく面白いものであった。茂木健一郎さんがしきりにその情熱の根源を知りたがっていたが、最後までその答えを桃子さんはうまく答えられなかった。その根源の部分を推測するのはなんとも楽しい。しきりに桃子さんは、高知の縄文的風土を説いていた。

その意味を理解するのは、日本人ではなかなか難しいのではないかと思う。外国に長い間住んでいないと、日本人の無意識の支配被支配、差別被差別の感覚に気付きにくい。西洋人の感性に近づき、自分の日本人的感覚を客観視できた時、初めてこの意味がわかる。

その上で高知に来ると、衝撃を受けるのである。世界を放浪した後に、高知に定住しようとする人が多いのはこの為である。

端的な説明をすると、日本人が海外に行くと西洋の”自由と平等”の感性の前にどうしてもひれ伏してしまう。日本人の感覚とは全く異なる上に、日本人の感性があまりにも未熟であることに気づかされるからである。

そこから感性の格闘を長年、繰り返し、”結局、私は日本人(西洋人みたいに振舞えないしなれない)”の境地に達した人が高知に来ると衝撃を受けるのである。

西洋とは、全く異なる”自由と平等”が目の前に存在するからである。しかも、それは日本的で心地いい、と同時に新しくもある。それが桃子さんの言うところの”縄文”である(はず)である。

かつてゲーリースナイダ―が、禅がuniversalであると言ったように縄文もuniversalなのである。

 

折口信夫がマレヒトと定義した遠方からの来訪者をもてなすのはなにも土佐のお客、だけではなかった。日本全国の縄文はそのようにして来訪者をもてなし、酒を飲み、どんちゃん騒ぎをしていたのである。日本神話的には、はるか彼方からの来訪者、えべっさんを祀っていたのである。

白鳳の大地震の時も、日本人は不謹慎にも日本中がどんちゃん騒ぎをして、土佐の陸地が沈没し伊豆の大瀬崎が浮かび上がったことを神の顕現と喜び、ふんどしを神域に祀った。

 

 

近代とリゾーム

アダムスミス以降、西洋的文明を享受する私たちは、”富“と”幸福“を久しくも遠からず真理の近似値として認識してきた。(もちろん私たち日本人の幸福は太平洋戦争終了時まで富ではなかった。それが能動的か受動的かの議論は別にして)

その富が国民国家を離れて、別世界の次元へ移行しようとしている今、個々人の心の中で国家=富=個人=幸福という漠然とした図式が崩壊しようとしている。

日本経済の奇跡の発展は、総中流階級という価値を生み出したことにあると言われる。皆が持たない時代から皆が持つ時代へ。その幸福への自己同一性は与えられたものであったとしても客観的事実として存在する。

現在の日本は、持った上にプロダクトライフサイクルが変わらず永遠に物理的革新が必要な社会になっている。1990年代に既に盛田昭夫氏は、米国のマネーゲームを批判し、井深大氏はNew Age へと舵を切り、松下幸之助氏は無税国家を思想的に志向した。

私たち日本人が富の発展を延々と繰り返す才能を持つ民族かと言えば必ずしもそうとは言えない。むしろ苦手なほうだ。

であるから、我が国の発展は決して米国に追随することでも中国に追随することでもない。

 

ー ヘーゲル的な世界樹かあるいはリゾームか ー

 

個々人の中でも論理的に捉えようとしたことが、みるみるうちに中心地点が変化し、定義自体が意味のないものになってしまうリゾーム的時代が到来している。

富か夢か、それともやりがいか。着地点のよくわからない乗り物に乗る前の無意味感を捨て、何かに呼応する勇気と持続性。そして蜘蛛のように待つことの重要性を認識することも必要ではないだろうか。

レクサスとオリーブの知

あまり本を紹介するということはないのだが、シャンタル・ムフ氏の“左派ポピュリズムのために”という著作をお勧めしたい。

 

彼の書いていることは、かなりのことだと思う。民主主義の危機については、多くの人が認知していることであろうが、それをマルクス主義や社会主義の再生産、ましてや新宗教の新ドグマを展開しているわけでもない。さらに彼は、学術的に再定義、再構築を繰り返しているにも関わらず、学術的成果ではなく、真の民主主義へと私たちの社会が近づく為の行動と原理のベクトルを指し示している。

 

このコンテクストに対して、我々、在野の知的行動者は呼応せざるを得ない。何故ならば、我々はその為に知的再生産を繰り返しているわけであり、当然、自らの社会的地位の拡大や金銭的欲求、ましてや日本人的承認欲求のフル充電を目指しているわけでもない。新たなる思想的地平線から昇り来るこの光明によって我々の知性が共鳴することを目指しているのではなかったか。

 

資本主義的領域、あるいは物理的領域(単に海外旅行に手軽に行くことが出来る)のみによってグローバリズムが台頭してきたわけではあるまい。グローバリズムの真の光の側面が今、出て来たかもしれないことに期待したい。そしてその可能性の一片でもインスピレーションとして与えてくれたシャンタル・ムフ氏に最高の賛辞を送りたい。

 

おそらく、宗教と知性と音楽は同じ平面に存在している。ムフ氏の無音の文字にビートが宿り、大きなうねりを以って宗教意識化していく。勘違いがあると困るが、日本人的にムフ氏を信奉するという意味ではない。我々は、言語、宗教、国を超えて、同じコンテクストの中にあり、それを解決出来る手段は、既にドメスティックな繋がりだけによっては解決不可能であるという宗教意識である。

 

そう考えなければグローバリズムによって破壊された世界の根源的意味を肯定的に再構築することすら出来ない。我々は我々によって知性があると確信する環境を整える必要がある。

”ただの田舎”と”ただものじゃない田舎”

高知市出身の自分が高知県の中山間地域に移住することすら難しいのが“移住”

ただの田舎は、なぜあの人は自分を変えようとしないんだろう、ほんとに頑固。ここに来たんだからここのしきたりに従わなきゃだめよ。このような構造の思考パターンを持っている人達は高知にもたくさんいる。

一方で、やりたいことをやってみいや、と言って、好きなことをやらせてくれる高知の中山間地域もまたたくさんある。これが”ただものじゃはない田舎”。この”ただものじゃない田舎”が、≪移住者の尊厳を守る≫、ということを意識してやっているわけではない。

土佐人の代表的なメンタルの中に、進取の気質、くせのある人間を徹底的に排除出来ない気質、があるからだ、と言える。

この理由は、土佐が古代から県境が変わっていない唯一の地域ということを前提とし(同じメンタルを同じ地域である程度引き継いできたという意味において)、例えば、高知県土佐市の縄文中期居徳遺跡のように日本の東北と中国大陸沿岸部の文化を融合したように、全く異なる文化文明を受け入れる土壌が連綿と受け継がれていて、その上に京都から罪人とされる政治犯を島流しにされるという遠流の地という気風が醸成されていったのである。

すなわち、高知において”ただものじゃない中山間地域”というのは、縄文の客人(まれひと)信仰を継承した地域であるとも言える。まれひとに関しては、折口信夫を参照されたし。

これを考えると、地域活性化の成功とは、縄文時代にまで遡る壮大な実験ということも出来る。

我々は移住によって何を知ろうとしているのだろうか?

究極的には、ローマや唐が構築されていった帝国主義時代の≪支配、コントロール≫を前提とする帝国主義の流れを持つ田舎と、それらに影響を受けなかった≪縄文の自由≫を持った田舎を嗅ぎ分けるという段階にきていると言っていい。

つまり、移住の最も先駆的、あるいは前衛的な意味は、帝国主義のピリオドを認知するという深いところにある。従って、この日本の潮流に世界中の先駆的人間が関わってくる事は必然と言えるのである。

この最も前衛的な流れは高知で起こっている。『第二次世界大戦後における真の国際化』という意味において高知から世界へのコンタクトは始まったばかり(ゆずや土佐酒が欧州に輸出され始めたことをそのスタートラインとする)だが、世界からの深いレベルでのコンタクトがあちこちで同時多発的に始まっている。

であるから、私たちは、”ただの田舎”と”ただものじゃない田舎”を明確にソフトにジャッジし
”ただものじゃない高知”に軌道修正していかなければならない。

移住者の尊厳を守り、移住者の自由を守る田舎というのは、中々、難しい。何故ならば、そのメンタルは、ほぼフランス的価値と同義であるからである。それがともすれば、欧州の抱える移民の問題とも直結する。欧州は既に自らの精神的価値を十分に追求できる状態にはない。何故ならば、周知の通り、自由と尊厳の確保は、一定数以上の流入移住者がいた場合、不可能になる。フランスはテロの発生を抑制するために警察権を強化しなくてはならなくなっているし、アメリカはメキシコとの国境に壁を設けざるを得なくてはならなくなっている。

シルクロードの東のターミナルであった我が国は、過去にそれを体験し、その問題を乗り越えた【記憶】を有する唯一の現存する国である。(ここにおける【記憶】とは、大和の大同団結を先住民族と渡来民族との誓約と解釈し日本神話を読み解く)

単なる移住と単なる海外旅行は終わり、私たちは新たなる構築の世界へと投げ出されている。

AIが力を持てば持つほど、現代のような支配とコントロールの帝国主義の時代は終わらざるを得ない。何故ならば、世界が全体として最も力を持つ状態というのは、多様性が完璧に維持された状態であるからである。そこに帝国主義の入り込む余地はない。AIの力すら、その多様性の一部でしかない。AIが世界をコントロールするなどと考える人間は、帝国主義に洗脳された恐ろしく古いタイプの人間と言わざるを得ない。世界の構造の潮流は、圧倒的に分散化の方向に向かっている。

ダムを構築したとしても、そこに水が溜まらなければ、そのダムはなんの意味も為さない。それよりも水がどの方向に向かって流れるのかを分析するドローン技術のほうが重要なのは言うまでもない。水の流れを重機で変えるなどという行為がナンセンスだということも言わずもがな、である。

ただものじゃない田舎は、今日もまた新たな来訪者を持っている。

可能性の追求についての考察

都会から地方に移住して成功する。大学中に起業して地域活性化のヒーローになる。海外移住で億り人になる。

これらは全て、承認欲求と夢の狭間にある。ホモ・サピエンスだけが現実には存在しないものを信じることができたという説は非常に強い説得力を持つ。

夢を持たない人間は、ホモ・サピエンスとしては劣格で、だからこそ存在としてのエナジーが満ち溢れない。そう考えると荒唐無稽な夢を語る人間がなぜあれほどまでに興奮冷めやらぬ状態なのかの説明がつく。

そう我々は意味のない夢を持って良い存在なのだ。土佐の大風呂敷という言葉がある。おらんく(我が家)の池(浦戸湾)にはクジラが泳ぎよる。荒唐無稽なホラが土佐の代表するメンタルなのだ。イタリア人とかなり近いではないか。

失敗などということを恐れることもないし、恥ずかしむこともない。そもそも夢を持った時点でホモ・サピエンスとして成功したとも言えるのだ。

ありもしない現実とは、宗教が最大の装置であり、それによって我々は生きていると言っても過言ではない。

今日挫ければ、明日はまた違う夢を見ればいい。酒を飲んで好き勝手なホラを吹き、夢破れて山河あり。

ホモ・サピエンス最大の都市に今日も夜の帳が下りる。

可能性は失敗のためにある。

失敗しても人間同士の繋がりだけは残る。

それを深く洞察するならば、人間の繋がりだけが夢ということもできる。

だからこそ高知には人間の繋がりしかない。

金もない、産業もない、構想もない。

酒とホラと失敗。

失敗をする前に既に失敗している土佐の文化にひれ伏したい。

ファスト、ローカル、次の未来

ファスト化される未来について、私たちがお金によって買収されるか、あるいは異なる価値に基づいて社会を構築していくか、その分岐点はあちらこちらに落ちている。

どこかの駅前の土地を買収する際、開発業者が地権者に対して提示する額は市場の売買価格よりも上かもしれない。しかし、その土地を買収し都市計画がなされた後で、その場所で開業するファスト企業の利益は、その土地の買収価格よりも格段に上である。

時に、開発業者は都市開発計画を知り、ファスト企業は造成後を見越して先手を打とうとする。当然、開発される土地は限られているわけだから、そこに参入できる企業は限られる。だからこそ先手必勝となる。このような争いの中に個人がついていけるはずもない。

ファスト化された未来においても、「便利になったねー」とか「ここも都会になったねー」ぐらいの感想しか出てこないのかもしれない。

のどかな田園風景があった町は、あっという間にファストロードサイド店舗が立ち並ぶ殺風景な街となる。

その中で私たちサブカルチャーが残っていく未来などあるのか。

その拠り所は、過去の遺物となった商店街、しかないのか。

対抗する措置として、近年では、住宅街へのサブカル的店舗出店が増大しているように思う。

街が”考える街”化するためには、そこに住むひとりひとりの哲学にかかっている。

開発業者とファスト企業のタッグ。それはまるで西洋植民地主義列強諸国とキリスト教宣教師に似ている。

「土地を売りませんか?あなたのために」と言いながら、その後やってくるのは夜中も電気がさんさんとするファスト企業

それを発展と呼ぶのか

その最終形態である東京の一極集中は既に終わり、分散化が急激に始まっている。

その分散化のエネルギーが行き着く先は当然、オリジナリティがある場所

そう、それはローカリズムがある場所なのだ。

ローカリズムがファストのアンチテーゼであることは明白だ。

東京から地方に移住してくる人たちの要望はローカル

逆に地方が望むものはリトル東京

このふたつのミスマッチに日本人はいつまで悩まされるのか

単純にわれわれは金銭に囚われず買収されずに、われわれのままで良いのだ

われわれ地方のカタチを突き詰めていく作業を淡々と永遠にやれば良い

土佐のスタイルは永遠にアナーキー

Webの時代が成熟し、ビジネスも関係性もコピー&ペーストが当たり前の時代

マーケットにおいて、他の追随を許さないオリジナリティを目指すなら、
絶対に世界のどこの土地にもあり得ないオリジナリティがある土地に住むのが自然だろう

そのオリジナリティがある土地が、もうすでに東京ではなくなっているのだ。

高知は、その候補地に十全足る資格を持っている。日本の中の外国と呼ばれることはもちろんのこと

外国のどこも、高知の全体主義的傾向を真似することはできない。

”自由”であることが結果的に”全体主義化”する土地など世界中どこにもあり得ない。

なぜならば、全体主義は自由を奪うものであるし、自由とは個人に限られる概念である。

従って、”国家の自由”などあるはずもない。国家に自由を認めれば、戦争する自由を認めなくてはならなくなる。

国家と戦争とは常に表裏一体であるからである。

話は長くなったが、ローカルがグローバルによって認められるためには、ローカルの内にある人がローカルの良さを認識し、維持し、あわよくばさらにそれを拡大していく気概と不断の努力を持たなくてはならない。

一瞬でも気を抜けばファストに買収され、気泡のような幸福論に幻惑されてしまう。

大金を得、豪邸に住んだとしても、100年後そこにローカリズムは残らない。結果はB29の爆撃跡と同じである。

吉田東洋暗殺場所、中江兆民生誕地、武市半平太道場跡、板垣退助丸山台。

同じように150年後、2200年代の土佐人がわれわれをどのように語り継ぐのか。恥ずべき歴史はあり得ない、今。