セントラルキッチン・レベレーション

高知は、市場の文化が他地域よりも濃く残り、大企業型のサプライチェーン・マネジメントを破壊できる唯一の地域である。

つまり、他地域では、強欲資本主義型のサプライチェーンに対抗する手段がない。もっと詳しく言えば、高知においては農家・農民ひとりひとりが、金で買収されることを嫌う傾向が強くあるということである。裏を返せば、ひとりよがりな変わり者が多いということである。これを土佐弁で”もがり”という。

この価値観がないと、強欲資本主義に対抗する理由がない。理由がなければ反対できない。これは真理である。

しかし、土佐には”もがり”×”ようだいこき”の層が一定層存在するので、強欲資本主義に対抗する理由がある。その層にウォーク・インするという意味で。

ここで言うセントラル・キッチンとは、日曜市をさらに発展させたものである。さらにその芽は出始めているが、ここではその思想に少し触れる。

土佐人が目指すセントラル・キッチンは日曜市とひろめ市場が融合し、さらに発展したものでもある。

高知県下から集まった食材と食文化がセントラル・キッチンで披露される。強欲資本主義でいうところの”セントラル・キッチン”とは、別の場所で調理したものを自分のところで出すという手法である。これは経済規模の拡大がその本質に横たわっている。

土佐人の地元食材原理主義は非常に強く、極度な中央集権構造を可能にしている。しかし、それは金のためにそれを目指す東京のような資本主義型でも、宗教意識のルーツ保持を宣言するバチカンのような宗教組織型でもなく、強烈な”食に対する執着”と”全体主義的平等主義”である。

これが穀物神話である日本神話と寸分違わぬ宗教意識であることに深く思い至れば、どこから日本神話が始まったかを理解するのはいかにも簡単なことであろうと思うのである。

土佐における穀物神話は今日も明日も続いていく。おきゃくの中で。。

何が言いたいかというと様々な地域で多くの流れが散発的に生まれているが、重要なことはその流れが資本主義型の”東京”を介さずにどこで中央集権化するか、である。そこには、思想と土壌が必要である。それは一朝一夕で熟成されるものでは、当然ない。

食べる食材は、すべて高知産で。野菜原理主義、ここに誕生。

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