第49回はりまや橋夜学会『チャーター・スクール』

第49回はりまや橋夜学会『チャーター・スクール』ラジオ版 is out!

by とさらじ feat. Kawasaki

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戦後成長神話の完全崩壊

2016年5月28日付け高知新聞夕刊に『高知県の空き家が6戸に1戸』という記事が掲載された。

政府の戦略ミスによる外国産木材の大量流入で山の管理が統制できなくなってから久しいが、既に空き家対策もこの段階に入りつつある。「空き家対策特別措置法」によって6倍の税、つまり更地と同じ固定資産税を払わせるという手法が正しいかどうかが問われる。

しかし、それは明らかに正しくはないだろう。なぜならば、あらゆるヒト・モノ・カネが右肩上がりに成長した”戦後の成長神話”を哲学的に乗り越えていないからである。

人口減少時代に、新しい家を作り続けていくのをやめずに、古い家を壊すことを推奨するというのは、経済思想的にも、現実的な経済面でも完全に狂っているとしか言いようがない。やるべきことは、作るエネルギーを維持管理するエネルギーに付け替えることであり、家1軒を新たに創造することよりも、家6軒を新たに創造的に管理する能力が求められている。つまり、これが古民家再生(リノベーション)の能力であり、その家を新たな拠点(ゲストハウス、カフェetc)にする(イノベーション)の能力なのである。

この考え方に到達するためには、成長神話という洗脳装置を脳から取り除かなければならない。会社に勤めて厚生年金を払いながら35年ローンで家を買うという構造自体が馬鹿らしいのだという考えに思い至らなければならない。材料もある、場所もある、労働力も持っているにも関わらず、自分のためではなく≪戦後成長神話というファラオ≫のためのピラミッド建設に自ら進んで使役している人たちは、社会貢献ではなく、権力増長への私的加担をしているということに気付かねばならない。その≪アンチテーゼを唱えられない脳の構造≫が、ブラック企業をのさばらせ、原発を延命させ、政治を混迷に落とし込めている根源的な原因であるということにも早く気付く必要があるだろう。だからこそ、現代日本人には今こそ、哲学的思考(アンチテーゼを唱えられる力)が必要なのである。

- 一体、誰のための幸福か? -

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1人よりも10人いれば、かなりのことが可能になる。にも関わらず、現代日本人の集団が、たちまち不公正で非効率に陥る原因とは何か?それは、効率が悪いわけでも公平さがないわけでもない。ましてや言いたいことを皆が言えないわけでもない。不公正に立ち向かうだけの哲学(正義、根拠)を持ち合わせていないだけである。この哲学を失わせたのは、良くも悪くも”科学”である。科学とは異なる解釈を許さない。解釈とは、千差万別の正義である。それが民主主義あるいは人権のファンダメンタルズになっているにも関わらず、日本人は自らそれを行使しようとはしない。行使できないからこそ他者を攻撃する。これが現代日本社会のプリンシパルである。この日本人メンタルのデフレーションは、経済のデフレ―ションよりも深刻だ。

-科学は哲学から生まれたが、哲学は科学から生まれたわけではない-

自らの幸福が35年ローンの足かせならば、われわれはエジプトのピラミッド使役の時代よりも不公正で非効率な時代に生きていることを自覚せねばならない。日本人は無宗教だと言うが、無宗教の状態でこのようなトチ狂った奴隷社会に集団で進むことはできない。まずは、われわれが強烈な催眠状態にかかっているということを自覚する必要があるのだ。

そこを脱して初めて、われわれはわれわれ自身によって新たなる成長神話を手に入れるのである。

ニューエコノミーが生まれる日

経済構造は一様ではない。

経済格差とは、すなわち情報格差である。他者よりも多く知ることではなく、他者よりも早く有益な情報を知ることによって経済格差は生まれていく。

江戸時代幕藩体制の下で有益な情報や文化を伝播していたのは、時に遊女や行商人であった。Webが発達し、われわれの目の前には一見、有益な情報がたくさん転がっているように見える、しかし、その情報の多くは顔の見えない人物から発せられた感情の伴わない、あるいは自らが資本主義的にのし上がっていくために発せられた半ば、嘘・偽りのベールのかかった情報である。バイアスと言ってもいい。

そのような情報にわれわれは一喜一憂し、真にリアルな情報は、一部の利益享受者によって真に囲われ、外に漏れないような仕組みになっている。一見、自由に思えるこの社会、何が真実かを問うならば、この情報の波を一旦、シャットアウトせねばならない。そして自らが出向き、話を聞き、その情報の真意を自分自身で確かめなければならない時代。

この視点に立脚すれば、われわれはきっとニューエコノミーを生み出すことができる。多くの場合、日本人の弱点は、情報を受け取れないことではなく、情報の正確さを判断できない、という部分にある。(それは、まず自分が何に属しているのかを知らないという根源的な問題がある。西洋のgodはbelongを伴うから西洋のキリスト教徒は、社会にbelongしているのではなくgodにbelongして、それが結果的に社会を形成している。それに引き換え、日本のgod(神道)はbelongを伴わない。それを強制的にbelongさせたのが国家神道であり、第二次世界大戦中の天皇であった)

つまり、われわれは文字によって思考伝達できない民族ではないか、という結論に達する。西洋発、文字によって存在や現象を表現・伝達するWebは、西洋のキリスト教文明、とりわけ4、5世紀のニカイア・コンスタンティノポリス・エフェソス・カルケドンのそれぞれの公会議の異端切り分けの思考回路をベースにしている。

われわれ日本人には、情報によって存在の善悪を判断する習慣もなければ歴史も全くない。我が国に法(Law)が入ってくる前に、法を司っていたのは、お上(Okami)である。安倍政権はまさに、自らがこの”お上”へと回帰する彗星の如くの運動性を持っている。

結果、今、われわれがしなければならないのは、Webによって得る情報を自分たちが正しく判断できると思い込まないことだ。われわれ日本人は、思考で物事を判断するのではなく、肌で判断する。

情報が氾濫した今だからこそ、実際に会って話をする、メールで話したことも再度、打ち合わせをする。そのような手間暇をかけて生まれてくるウェーブ、これが本当のニューエコノミーではないか。これは決して新しいことでもなんでもない。しかし、われわれはそこに再度、回帰することによって新しい波を実感することができる。

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Webと同じスピードで飛び、Webと同じ容量で処理し、Webと同じ先入観なしでつながる。

われわれ日本人には、デジタルをアナログ化することが求められている。それは決してアナログへの懐古主義でも、デジタルへの批判精神でもない。日本の歴史の中でこれまで何度も起こった国風化への流れである。

経済格差が生まれているという情報を中央から流しているのは、情報格差を生み出してきた中央のマスのメディアである。幕藩体制下の遊女や行商人が情報格差を埋める有益な情報を手にしていたことを考えれば、現代においてわれわれにそれができないようには思えない。単に思い込みと偏見が暴走し、逆に行動力が圧倒的に不足しているだけである。

格差を埋めるニューエコノミーは、すぐそこにある。

北杜夫のマブセ共和国

2000年11月、萬晩報に北杜夫のマブセ共和国について書いたことがある。写真はその通過10000マブセ。

近くの世田谷文学館で「北杜夫展」を開催中である。開館5周年の記念展覧で、世田谷在住の北杜夫氏が選ばれた。2Fには「マブセ共和国」がある。正式国 名は「マンボウ・リューベック・セタガヤ・マブセ共和国」である。1981年、畑正憲氏の「ムツゴロウ王国」に触発されて自宅に建国したから今年は建国 20周年にあたる。いまは「大使館」がその2Fにある。

国民は3人で、北杜夫氏とその家族だけ。フクロウをあしらった国旗があり、通貨は「マブセ」という。文学館の入場券の半券が「1万マブセ」の紙幣になっ ている。文化事業として星新一氏や遠藤周作氏に文華勲章を授与したこともあるそうだ。文学館を訪れた当日、北さんみずから国歌を独唱して、喝采を浴びた。

北杜夫氏の作品は「白きたおやかな峰」という作品しか読んでいないから「マブセ共和国」については初めて知った。これはやられたと思ったのは筆者が5年前、友人と考えた北海道連邦国の国旗のモチーフもフクロウだったからである。

地域活性化はゼロサムゲームか

安倍政権による地方創生あるいは、CCRCは中央から地方へと社会資本を付け替えるだけのゼロサムゲームなのか?

池田勇人の所得倍増計画により、あるいは米国のグローバリズムという経済思想によってわれわれは、あたかも経済規模が大きくなれば、幸福が大きくなるだろうという幻想を信じ込まされてきた。しかし、その一方で、貧しいものはさらに貧しくなり、先行者利益を得ないものは、さらに後進的な不利益を被るという実態が、誰が見ても、現実のものとなっている。

経済学者たちは、”では、一体他にどういうやり方があるのだ?”と言わんばかりに、アベノミクスを間接的に支援し、多くの国は自国通貨安競争に転じた。その結果が、現在の株価のトリクルダウン的状況を生み出した。

アベノミクスというリフレーション政策は、実体経済を仮想経済によって刺激する荒療治である。その根底に存在する考え方に、経済規模の拡大がわれわれの生活を幸福にするという幻想が横たわっている。まず、われわれ自身がその幻想から目覚めなければならないだろう。

われわれが最も、注視しなければならないのは、経済の質の向上規模の拡大である。経済におけるQCサークルとは、経済の質を監視するものである。90年代ソニー創始者・盛田昭夫はアメリカ経済の投機型性質を揶揄したが、そのような日本型経済ポリスは今、日本に存在するのか?

多くはグローバリズムの幻想にひたり、地に足をつけた経済構造への転換に明確な思想を携え、ひた走るものは少ない。

江戸100万都市を支えた基本的通念はサステナブル社会である。当時の日本人が意図してそれを実現させたわけではない。日本古来の神道をつぶさに分析していけば自ずとサステナブルな社会が導き出される。それを自らが放棄し、民族同士が互いに搾取し合う状況に陥ってしまったこと。真に愚かとしか呼べない状況にある。

縄文1万年の豊かさを経ながら、将来の不安と少ない名誉と名声のために争わなければならなかった弥生の小戦争時代と今は、似ている。その後、弥生は国風化され現在に至るヒエラルキーが完成された。

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地域活性化がグローバリズムのようなゼロサムゲームであれば、われわれはそれに加担する必要はない。われわれは、互いの地域を支援し、互いの価値を高め、幸福をも高めていくために生きている。何がゼロサムゲームであり、何がゼロサムゲームではないのか、われわれははっきりとしっかりと認識しなければならない。奪った奪われたの経済構造の中にある限りは、経済規模の拡大は為替取引のゼロサムギャンブルと同じ意味合いでしかない。われわれ日本人の多くがこのゼロサムギャンブルの意識の膜に覆われていることを認識し、そこから脱するための活動を活性化していかなければならない。それが本当の地域活性化活動であるはずである。

経済構造の転換はほど遠い。しかし、その未来は決して暗くはない。なぜならわれわれは直感的民族であるからである。

2月17日のテーマは「北京の崇貞学園」

戦争が終わるまで、北京の朝陽門外に日本人牧師が経営する崇貞学園という学校があった。かつて、朝陽門は北京の東の果てで、揚子江からの運河が北上して北京に物資を運ぶ水運の拠点だった。人の往来が多きことから、多くの孤児たちが捨てられ暮らしていた。

その悲惨な状況に義を感じたのが、日本人の牧師だった。名を清水安三といった。彼はまず孤児たちを世話する孤児院を経営し、子どもたちに手に職をつけさせるため、縫製や手芸を教えた。やがて孤児以外の子どもたちもその職業訓練所に通うようになり、学校となった。

清水安三が孤児の世話を始めたことは1910年代の後半だった。日本が突きつけた対華21カ条要求が受け入れられて、全国的な反日暴動が起きていた。だが清水の行動は北京の知識人たちに受け入れられていた。おかげで北京大学の総長の胡適、共産党の創始者李大釗、作家の周作人、魯迅兄弟などトップレベルとのつきあいがあった。

戦争が終わって共産党が学校を接収し、清水安三は帰国を余儀なくされた。帰国後、清水安三はお茶の水で賀川豊彦に出会った。清水は日本でも学校経営を目指していたが、あてがあったわけではない。賀川に相談するとその場で、ある財界人が持っていた町田市の屋敷があてがわれ、後に賀川が買収して学校に寄付した。今の桜美林学園である。

今、崇貞学園は「陳経綸中学」と名を変えて経営されている。2005年に清水安三の偉業を顕彰するために校庭に胸像が建てられた。反日暴動が盛んな中だったが、胸像について反対はなかった。

円はため息ドルはじり貧

1995年6月27日、四国新聞一面下の「一日一言」が僕が書いたピリカのことを書いてくれた。農水省の役人と深夜飲んで、捨て鉢で造る国家、Hokkaidoを妄想したことを同省の広報誌に書いたことがある。もう21年も前の話であるが、まだ新鮮な話題である。以下にくだんのコラムを転載したい。

「円はため息、ドルはじり貧。世界経済は一衣帯水でポンドもフランもマルクも不景気な話題ばかり、欧州連合(EU)の新統一通貨エキュの受難も必然だ。ところでうわさの新通貨ピリカはご存知だろうか▲エキュは欧州の統一を目指すEUが採用を予定している新通貨の単位名。1997年実施の計画だったが、参加各国の財政状況にばらつきがあり過ぎて、EU蔵相理事会は先週、計画断念を発表した▲まるで船出前の座礁だが船もバランスが悪いと転覆する。大海原に出るのは安定してからという慎重意見だが待ちすぎてタイミングを失うとの懸念もある。そこへいくと通貨ピリカは元気がいい▲ピリカは「美しい」という意味のアイヌ語。実は「まぼろしの北海道独立計画」の中で語られた通貨名がピリカだ。友人の記者が、中央の若手官僚と飲んだ揚げ句の放談を雑誌に掲載したのだが。これがなかなか面白い▲道州制を提唱しても規制緩和もできない日本政府に期待できる訳がない―「いっそ国を作ろう」と話は決まった。「独立するなら北海道」。土地が広い。道路などインフラも良好、そのうえ四千メートル滑走路の空港がいい▲為替レートは1ドル=500ピリカで一人あたりGDP5000ドルなら国際競争力は抜群。お先真っ暗の乳製品、紙パルプ、炭鉱も生き返る。大統領制で札幌は経済の中心、首都は旭川、最高裁は帯広、議会は函館で三権分立。一極集中の愚は重ねない▲国語は日本語だが国旗にはアイヌの神さまふくろう。国家はもちろんトア・エ・モアの「虹と雪のバラード」。「補助通貨の単位はマリモだ」というあたりで酔いが回った。こんな話が冗談でなく国会議員の勉強会でも議論されているという。日本はそろそろ転換期だ。

2月12日はりまや橋夜学会「記者クラブ制度」

12日は「めろでぃー」での開催。10人が集まった。テーマは「記者クラブ制度」。普通も人もこの名前だけは聞いたことがあると思うが、実体はほとんど知られていない。新聞やテレビのニュースのほとんどはこの記者クラブから発信される。もちろん、事件や事故は現場からの中継もあるが、そのコンテンツは警察の記者クラブを通じて広報された内容をもとに記者自身が見聞きした部分を加味して報道される。記者クラブがなければ、ほとんんどの記者は現場に行っても何が何だか分からすに右往左往するはずなのだ。

記者クラブは首相官邸から各省庁、自治体、警察、企業団体に存在する。構成される任意団体だが、官庁や企業団体の一室を“占拠”している。運営は2カ月交代の幹事社が行う。突発なニュースは別として、日頃は48時間前に記者発表を希望する官庁や企業、個人が幹事社を通じて申し込み、発表予定は掲示板に掲載される。いったん掲示板に掲載されると、そのニュースは例え事前に知っていても書いてはならないというルールがある。これを48時間ルールと呼んでいる。

みなさんがテレビで見ている官房長官会見がある。これは首相官邸のブリーフィング・ルームで午前と午後と日に2回行われるが、建前はあくまで官邸記者クラブが官房長官に要請して行われることになっている。官邸詰めの事務官が司会しているが、政府が勝手に会見しているのではない。

僕の場合、経済記者として霞ヶ関や民間企業の記者クラブに多く所属したことがあるが、一番長かったのは経団連会館3Fにあった鉄鋼記者会だった。当時の経団連会館は昭和30年代に建てられたもので、電気事業連合会、石油連盟、鉄鋼連盟の企業団体が入っていて、鉄鋼記者会のほかに、エネルギー記者会、機械記者クラブ、財界記者会があった。いわば記者クラブのデパートのようなところだった。

鉄鋼記者会は鉄鋼連盟が借りている一室を間借りしたもので、基本的に新日鉄や住友金属など鉄鋼大手企業の広報のために出来たものだったが、後に非鉄金属や化学業界(ガラス、ゴム、紙パルプ、繊維、医薬品、化粧品など)の広報も行う場所となった。各社、鉄鋼担当と化学担当のそれぞれが詰めていて、毎日、そこに出勤する。出会うのは他社の記者ばかり。デスクとの対応はほとんどが電話。小さな部屋だから電話の内容は他社に筒抜けである。他社の記者がいないと、「あいつ何か違うことを取材しているのではないか」と不安にもなるが、そんなことは日常ではない。普段は和気藹々と企業の発表する資料をもとに取材し、記事を書く。先輩の他者の記者から「伴君、あの記事できた?」などと代筆を要請されることもないわけではない。昼飯も飲みに行くのも他社の記者である場合が多い。呉越同舟なのが記者クラブの一つの特徴である。

記者クラブ制度2

滋賀県警の記者クラブには2年間所属した。10社以上の新聞、テレビの記者が詰めている。入り口に泉谷さんという中年の女性が座っていて、至れり尽くせりのお世話をしてくれる。出前の注文はもちろん、ボタンの付け替えまでしてくれて、独身者にはまるでお母さん役だ。記者クラブには新聞と雑誌が完備されているので、事件事故がなければ、県警本部の暇な幹部は日に何度も顔を出して、将棋や碁の相手もしてくれた。

考えてみれば、なぜ記者クラブは役所の中を無料で占拠しているのか分からないが、広報官ともなれば、どちらかといえば記者よりの立場に立ってくれて、取材の便宜を図ってくれる。そして、記者を管理するというより、どちらかといえば無意識に「報道は公器だ」というような気分になっていたようだった。新聞記者は抜いた抜かれたの世界で、普段は仲良く振る舞っている仲間でも、突然、朝刊に知らない記事が載っていて、デスクに怒られることもある。そうなれば「あいつは誰から情報をもらったのだろうか」と疑心暗鬼になる。だから記者の仕事といえば、何かあった時に本当のことを教えてくれる「サツ官」を1人でも多く確保することなのだ。

新聞記者は因果な商売で、ニュースといえば事件や事故。世の中にとって悪いことばかり。事件や事故に恵まれないと新聞記者の感性は磨かれない。警察や消防も同じで、人様の不幸で飯を食っている。だからある意味同じ 穴のムジナということで似たような人格が形成されてしまう。というより悲しいことに同じ様な発想・思考をするようになってしまうのだ。記者クラブとはそんな人格を形成する場ともなっている。