自分の常識から外れてしまうと宗教と決めつけてしまう人たちの不思議

日本人の一般的思考習慣に

自分が理解できないことを提示されると

”宗教であると認識すればいいんだ”

がある。

また、起こった事象に対して

”仕方がないから水に流そう”

がある。

この2つの思考習慣を分析するだけでも

日本人には元々、『 考える 』という文化自体がないことがわかる。

日本人にとって『 考える 』とは何か?

を考えた場合、共同体の同調圧力から疎外されずに

如何に自らを保身していくかに尽きる。

つまり、日本人にとっての『 考える 』は

脳を用いて社会の様々な事象を解決するという風にできておらず

社会そのものが害毒になっても、その中で自らがどの地位にいるのかのほうが

日本人脳にとっては関心が高いテーマとなる。

日本人の『 腸 』が外国人よりもお肉を消化できにくい腸になっているというのは、良く言われるが、『 脳 』についてももっと研究がなされるべきであると思う。

この問題を追及することは、第二次世界大戦の我が国の”失敗の本質”を知る上でも非常に重要であると思う。

船がどこに向かうのかを議論せずに、船内の給食当番の順序争いで一日中、議論している。このようなばかげた状態が現に国会で日夜、繰り広げられている。

『 真に考える 』というのはどういうことなのか?

私たちは、本当に考えなければならない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です