グローバリズムへの挑戦

現在、土佐の産直市では新しい試みが始まっている。

本来、産直市は国の農業指針によってJAなどによって運営されるのが常である。

しかし、土佐の産直市では、生産者が直接、消費者にアピールできる市場になろうとしている。

これまで高知県では戦国時代より、日曜市をはじめとする街路市が他地域と同じように発展してきた。

戦国期の楽市・楽座は四国から始まったというのが通説らしいが、日曜市や木曜市・金曜市など現存する街路市の規模では高知県がナンバーワンだろう。

つまり高知県では、戦後の資本主義化を経るまでは、生産者と消費者が直接やりとりをしていたわけであり、戦後70年経済発展が遅れた故にその雰囲気が残されたのである。

戦後資本主義が東京一極集中の資本主義に集約され、そこからグローバル経済へと発展した。どこへ行っても同じ風景のファスト化である。それが良い・悪いかの論争は出尽くした感が強い。

われわれが今、どういう段階に差し掛かっていると言えば、グローバル資本主義から自分たちの地域を守るために連帯する価値観とは何か?ということである。

それがイスラムならISであり、日本人ならば何を持ち出すのか?という意味である。そもそもグローバル経済に疑問を持っていなければ話にならない。その初歩の部分は割愛させて頂く。

戦前においても日本人は、西洋人のグローバル植民地主義に対してグローカル植民地主義で対抗した。後藤新平による”生物学の原則に基づく植民地経営”はグローカルな思想に基づく。

それが今や、日本人自身が同じ民族の若者を搾取し、国土を生物学の原則に基づかない思想で破壊している。これはJAに限っても同じことである。生物学の原則に基づくというのは、国の指針に従わずに、ローカルな問題はローカルな手法で解決していくということである。

このような事情を理解せずに、”国の指針に従わないものは左翼だ”と言っているものたちは、戦前であれば逆の立場に陥ったことだろう。日本人として伝統的な日本人の考え方・思考方法を理解するというのはとても大事なことである。

近代戦争を通じて最終的に日本国が出した答えは”民族自決”である。つまりこれはローカリズムであり、どこか知らない場所で決めたルールを全世界に適用するなという意味である。

われわれがどうするかを共に語り、積極的に行動する。単にこれだけで良いのである。最も厄介なものは、自分ではない都市生活などに憧れ、自分の本分を忘れ、妄想することである。

土佐人が無駄な妄想をしないのは、土佐弁が現実主義的であるからである。グローバリズムを廃するローカリズムは土佐国からではなく土佐弁より出づる。

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