地震規模はL2なのかL3なのか? ~ 50点という名の100点満点 ~

地震規模を示すL1、L2、L3についての参考資料は下記

本 文 – 国総研NILIM|国土交通省国土技術政策総合研究所

そして高知県の南海トラフ地震対策行動計画は下記

南海トラフ地震対策行動計画(第3期 平成28年度~平成30年度) 一式[PDF:61MB]

尾崎知事は口頭でも 『 L3への対策をすることには意味がない 』 と言っているように

巨大地震への備えは、そもそも論で想定してない、というよりは馬鹿らしいというスタンスである。

良く言えば、”行政判断としてL3への対応は税金を投入してはできない”というものである。

首長の行政判断としては適切だが、L3が起こった場合は

誰も責任を取る人間がいないというような状況に当然、なる。

この厳然たる事実に対して尾崎知事は前もってアナウンスをしておくべきである。

つまり、≪L3地震がやってきた時は、避難タワーも避難計画も全てが画餅になる≫と。

それを言わないで、いかにも地震対策をやってます、はいかがなものか?

そこで、われわれは独自にL3への対策を施している。

下記である。

①L3への事前対策は、高台避難・移転の1点のみである。

②高台避難・移転を行う主な機構は下記である。

  1. 住民
  2. あらゆる行政機関
  3. 病院・警察署・消防署などの緊急車両保持機関
  4. 民間の食糧ロジスティクス
  5. 都市計画

これは、【事前復興】と呼ばれるものの1種である。

しかし、現在の地方自治体がこのようなダイナミックな計画・移転を法律上できないため

この主体は自ずと民間主導となる。

すなわち、現在の日本国が今のままの行政機構であり続ければあり続けるほど

維新政府が生まれざるを得ない状況となっている。

実は、現在の法律では、民間が土地を買い占め、警察権のようなものを行使することは可能である。

明治時代に薩長藩閥政府は、神の土地であった多くの聖なる森を国有林化した。これは法律上、なんら妥当性がない。

それと同時に、京都から東京への皇居の移転にも妥当性がなく、一時的な移動が為されているだけに過ぎない。

L3の地震がやって来て、避難タワーが全て無駄であったと認識した時の住民の失望感はいかほどか?

現在の死者数は4万2千人と想定されているが、L3が来た場合は、10万人を超えるだろう。原子爆弾が投下された時と同じ規模の犠牲者数である。原子爆弾の慰霊祭は今でも行っているにも関わらず、日本人はなぜこれから来るだろうと完全に予測されている原子爆弾級の災害に対して、なぜこれほどまでに無頓着なのだろうか?

高知市の人口の約3分の1近くが浦戸湾に浮かぶのである。家族のうち誰かが犠牲となり、親を失った子供も多数、現れる。

そして、行政は『想定外でした。申し訳ございませんでした。』と謝罪を繰り返し

うちに復興予算をくれ、と予算分捕り合戦が始まる。

住民自治、事後復興は進まず、親を失った子供たちは

死体の山を見て、大人が何の解決策も持たないまま言い争いばかりするのを

毎日、見せられる。そのような凄惨な状況になった土地にいたくはないだろう。少なくとも、その災害に的確に準備し、一定程度の成果を上げた郷土なら、まだこの地に残ってそこを復興して行こうという気持ちも沸いてくるとは思うが。

浦戸湾を覆う堤防がすべて高潮用であり、津波に対してなんの抵抗力もない状態で海側の堤防のかさを少しあげるだけの工事に何の意味があるのか?≪腐ったパンの耳だけをすげかえ側面から写真を撮って、焼き立てパンです!≫と言っているようなもの。つまりは、都市計画の偽装、である。

浦戸湾は平均1.95mの地盤沈下をV字型に起こす。平均であるので、場所によっては4-5m、もちろん90cmの場所もある。想像すれば、人も建物も立っていられない状況というのは容易に想像がつく。しかも、その地盤沈下のリバウンドは、現段階で全く予測されていず、リバウンドが完全に終わるまで、地盤を平らにすることすらできない。その間の食料、避難先、工事、費用は、すべて人任せである。3連動地震が起きれば、大都市に食料や救援がまわり、高知のような小規模地域は後回しにされることは自明の理である。

尾崎知事は、このブレイクスルーとして米軍を頼りにしているが、そもそもそれは、根本に問題があるのではあるまいか。高台移転しさえすれば、すべてが解決されるにも関わらず、戦後資本主義を延命したいがために同盟国といえども他国の軍事力に頼るのはあまりにも狂っている。

変えなければいけないのは、『戦術』ではなく、『戦略』である。

もういいかげん、こんな国やめませんか?

普通に考えれば

L3対策をしておくことが一番、無難でしょう。

大人はいいんです。走れるし、泳ぐことができる。

でも、子供、年寄は何の解決策も持ちえません。

”雷は滅多に落ちないから雷対策はしません!”

と明言する行政をなぜ信用するのでしょうか?

あるいは

”明日の中間テストの英語の100点満点は私にとっては50点を採ることだ”と言って

『限りなく”私の”100点満点に近づけます!』 という目標のどこが完全なのか。

単なるレトリックに過ぎない。

『私の掲げるL2の目標に対して死者数を限りなく0に近づけます』

われわれに論理的思考が足りないだけ。あまりにも馬鹿げている。

50点という名の100点満点の思考回路は、日本のあちこちに落ちている。

私たちが、この思考パターンから脱する時、私たちは変わることができる。

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