とある人が役所と戦っている。しかもそれは自分たちがやってきた”外側から批判する”のではなく”内側から変革していく”という兵法である。
これにはかなりのエネルギーを要する。多くの場合、社風や風土に染まっていくのが世の常である。
”郷に入りては郷に従え”という言葉があるほどだ。
自分の目指す”変革”の多くがシュンペーターから来ている。つまり、経済学的な”変革”が自分の出発点だということである。
それをシュンペーターは、多くの意味を込めて”イノベーション”と呼んだが、そのイノベーションが今、進み始めているのではないか。
実は、われわれの問題とは『個人主義を超えること』にある。つまり、私たちの世代は、ひとつの価値観や宗教意識に基づいて団結ができないからこそ、社会資本を受け取れない・再分配がなされない世代となっている。いや、これは日本の若い世代だけではない。先進国の多くの国で見られる現象である。それが何を意味するのかと言えば、皆、アメリカの覇権主義の先の世界を誰も思想することができていないのである。
それが、なぜ、今、日本で、しかもこの辺境の高知で起こっているのか?
ともすれば、反発・対抗してしまいがちな若い世代もの同士。われわれはWebを通じて同じ価値観でつながりやすくなった一方で、異なる価値観を排除する傾向も強くなった。しかし、高知には≪異なる価値観がつながりやすい≫環境がある。これに多くのヒントが含まれている。
われわれは、われわれ自身でニューディールを行う必要がある。戦後日本人は、”精神の自由主義市場”に”アメリカ型の個人主義”を投入したが、それは世界で最もグロテスク化し、世にも奇妙な日本的な自分勝手主義が生まれた。われわれは、Inovationを実践しながら、同時にケインズ的な日本的”団結力”のニューディールをも獲得していけなければならない。この団結力がニューエコノミーとなり、戦後のおかしな強欲資本主義を排除していくことができる。
役所内で”変革”を目指すことも一興だろう。多くの報酬をもらわずとも理念とベクトル、そして”夢”で仕事を選択するというのもひとつの考え方である。
役所でデザイナーなんぞ。。
一発の案件で数十万の報酬が日常茶飯事のWebデザイナー
むしろ、企業報酬に飽きた異才デザイナー
なにがためのデザインか
どんな仕事でも≪ソーシャル・イノベーション≫は可能である。
政治によって社会が変わるのではない。イノベーションは経済活動の変革、もっと言えば、経済利益を生み出す大元の考え方の変革を意味する。
われわれは、お金のために生きているのではない。生きるためにお金を使っているのだ。であるから、何のために生きるのかを問えない仕事は、仕事ではない。
<a href=”http://www.town.tosa.kochi.jp/publics/download/?file=/files/content_type/type019/958/201607110927318715.pdf”>土佐町で異才デザイナーを募集している</a>。イノベーションが我が国の経済を再生させる道だと考えるデザイナーの方。高知からイノベーションを。
http://www.town.tosa.kochi.jp/publics/download/?file=/files/content_type/type019/958/201607110927318715.pdf