2月12日のテーマ「記者クラブ制度」

はりまや橋商店街の「めろでぃー」で午後7時から午後8時まで開催。

記者になって驚くことは多くの場合、本社だとか支社、支局が自分の働く場所ではなく、記者クラブに配属されることである。僕の場合、1977年4月に共同通信社に入社し、5月1日付けで大津支局に転勤となった。支局長と記者2人の世帯だった。すぐに県警担当となり、支局の真ん前にあった滋賀県警本部につれていかれた。県警本部には広報官がいて、事件事後の発生から経過をレクチャーしてくれる。分からないことがあったときは「他社の記者に聞け」といわれて、先輩記者は去り、1人置いてきぼりにされた。やがて昼飯時になって、交通部の伊谷という警視が現れて「お前が今度来た新人か」と問われ、「めくり」をしようと誘われた。電話帳をめくってそのページの3桁の数字を足して1桁目の数字が大きい方が勝ちとなる。意味も分からずに「めくり」をして僕は負けて、昼飯をおごらされるはめになった。話していると過去の共同通信の記者の名前が次々に出てきて、「あいつはよう頑張った」「あいつはけちでかなわなかった」などいわれた。ようは「お前も頑張れ」ということだったらしい。

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