スタンドアロンと移住神話 0.34

SNSやブログなどで、発信してる面白い情報主がいて、話ししたいなと思っていても、人気が出てきて、交友関係をその情報に載せ始めると、やっぱいいわ、という気持ちになっていることに気づく。こういう心理というのは、おそらく情報主がスタンドアロンの時は、おそらく自分の中の何かと共鳴してて何か自分の活動と一緒になればもっと広がるはずと思い込み、その向こう側の交友関係の人とは、あ、これ違うな、と判断してしまっているのではないか。

 

これを考えると、自分も気をつけないいけないと思うし、地方創生や地域活性化を考える時に非常に重要なファクターではないかと思い始めている。

 

高知は比較的どんな業種でも入り乱れて飲む文化があるんだけれども、活動が長くなるとどうしても、思い込みや偏見で判断してしまいがちになる。

 

コロナ禍で第四波目ぐらいの移住の波がやってくるんだろうと思うのだが、その中でも、当初から移住してきて、珍しがられて知名度を上げた人とか、山とか家をもらった人たちを羨んで、自分ももっと出来るはず、貰えるはずという少し面倒なことになるパターンもこれから十分に予想されるので、地域の人たちはある意味心構えをしておいた方が良いと思う(ほんとの意味での歪んだ資本主義精神が入ってくる)。

 

そんな中で、損得勘定なしで人付き合いしないと、とか、自分の利益の為だけに動いてても皆にバレてるよ、とか、ただ、なんとなく雑談して飲みの誘いに乗り続けるだけでうまくいく、というのは、今、ビジネスの世界でも言われてることと同じことが移住成功例として当然のように語られ始めるのではないか。

 

移住してきたら先入観なしでジャッジメントせずに、誰からの誘いも断らずに付き合うことが基本になってくる。しかも雑談して酒も飲まないといけないわけだから、ほぼ営業の仕事と同じ。

 

おそらく、第四波はほんとの意味での無欲の社会起業家的移住者が求められているのではないかと思う。それほど、今、移住者に求められるレベルというのが上がってきていて移住者という存在が普通になってきているのだと感じる。

 

良い人たちばかりならもっとこっちにも来てくれともなるはずだが、悪い人たちがいると、移住者なんて、と一括りにされてしまう危険性も孕んでいる。これは欧州の移民問題と同じ構造を持っている。

 

ただ、あまり、言われないが、日本人は民族意識が実は高いので、同じ民族を排除する傾向は同調する傾向によって逆に排除されていくと思う。ただし、ルールを破ったことによる村八分的傾向は今後も永遠に続いていくだろうと思われる。

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