週休3日ベーシックインカム 0.31

アフターコロナ世の前兆として経団連から週休3日制の提言が為される模様

これはかなり驚くべきことであるが、細かく見ていくと、企業側の利益にも適った必然的な選択と言える。つまり、否応なしに私たちの働き方は望むべき方向に舵が切られたのである。

既に先進的な企業では週休3日制は導入されていたが、ここにきて全企業にまで波及する形で提言が為された。教育における”9月始業”という考えも、硬直化した日本社会がstaticからdynamicに移行した瞬間の出来事と言えよう。

 

そもそも日本企業は週休3日に移行できる能力を持っている。それを実現できなかったのは、”働かざるもの食うべからず”、”私たちの世代は週休1日だった”、”モーレツ社員こそ鏡”などの上の世代の感情的妄想のせいである。内部留保を減らしてでも社員の幸福を考えるのが、『日本的経営の根幹である』とは考えなかったのである。

 

そもそも企業に属することは、安心と安全の為であったにも関わらず、昨今の企業文化は社員を虐待するためだけのリスク装置になっていた感がある。

それが、『テレワーク基本、週休3日制、人権侵害の軽減、複業は社内ベンチャー』に移行すれば、起業家精神を持った人たちが企業に戻って来て日本企業が再生する可能性はある。

今後来る最大級の減益減収の中で日本企業の資本投下の先は当然、設備投資などではなくアフターコロナの世界における新しい日本人の働き方などの組織内の改革であろう。

 

SHARPがマスクを作り始めるというのは誰も予測できなかったし、したくはなかっただろう。ただ、それは決して悪いことではない。柔軟さこそがわれわれに残された唯一の希望である。

 

『テレワーク、週休3日、日本総正社員、複業推進、ベーシックインカム、無税減税』という松下幸之助も目指した日本人が目指せるべき地点がおかしくなったのは、金を持っているものが偉いという誤った情報を発信し始めた東京資本主義の影響が大きい。芸能界やマスメディアなどはその売り子として日本人の幸福をすり減らしてきたことにもっと目を向け自省すべきである。

 

ひとりひとりが企業内、企業外で奮闘し、”働かなくとも食うべきだ”に認識を変えていかなければならない。それが明治時代の【富国強兵・殖産興業】の洗脳から抜け出す第一歩である。もう日本国は強くなっているし、働きすぎることによってグローバリズム配下のどこかの国の暮らしや環境を奪って破壊していることに週休3日になった余分な1日を使って目を向けその世界の再生に尽力すべきである。

 

それは自分の住む地場のコミュニティの再生にもつながる。

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