ドイツの若き哲学学者マルクスガブリエルの問い
ここにおける“世界”とは、哲学学における形而上の世界のことである。
ポストモダンと言う時、既にそこには相対化が為されており、絶対的な真実がそこにないものとするスタンスである。
安倍首相を批判する左翼がいるとして、その人たちに、じゃあ一体ポスト安倍後の世界を日本がどのように作っていくのか、と尋ねた時に何も思想を持っていない。これが、ガブリエルの言う“存在しない世界”である。
これを“存在する世界”にするためには、例えばフランスの左翼ナショナリズム、マリーヌルペンのように、反動ではなく民族主義を単に貫くこと。これを絶対的スタンスと言う。
安倍首相がいてもいなくても、自分は郷土一国主義で同じことをやり続けている。周りにもそのような人間はたくさんいる。ここにおいては、“世界は存在している”と言える。
ただ、高知の場合でも東京に汚染された“存在しない世界”方が8割いるので、同じ方言を喋っていても言語が通じない、という現象が多々起きる。外国人を連れて来て英語で喋っているけど、日本人と日本語で喋るよりも圧倒的に言語が通じ合うという体験を何度もした。
この逆転現象に日本人は本当にもっと留意すべきである。戦前まで世界で類を見ないほどの形而上の巨大世界を作り上げていた形而大国日本。キリスト教世界以外にそのような世界があっては困るので戦争になってしまったが、今となってはむしろ西洋人の方が禅を心底、求めている。
“存在する世界”の住人になる為には、まず東京から脱出することである。何故ならば、東京資本主義は最後の最後まで太平洋戦争の失敗の本質に対する何の提示や解決策も生まなかった上に、自らが率いてきた戦後資本主義の着地点とその時代に対する自省すら出来ていない。富の集中とはそれだけ責任が伴うものである。
巨大金融資本に不正コントロールされた今、それらを無効化出来るのは、知性のみである。質素に地道にローカルでしつこく生きていくだけで郷土は強固になる。
存在する世界は常に足元にある。行動は全てを変え、問いは解を与える。