“自分以外はみんな馬鹿”は、一体いつから始まったのか
日本は、西洋とは似てあらざる”個人主義“と称されるものを半ば先進的な感覚、あるいは肯定的な受け止め方で捉えてきた。それを今になって振り返ってみれば、ただの病的な感覚をマスコミを巻き込みながら病的に信奉してきたと言って良い。
つまり、それは単に日本社会の破壊でしかなかったということである。隣に誰が住んでいるかわからない状態を作った先に東京は、なんの日本史の課題解決も提示していない。
それは、太平洋戦争の社会的な反省が出来ていないこととも通じる話でもある。
もう、既に、戦後資本主義および55年体制は失敗に終わったと令和元年の今、号令を宣誓を発しなければいけない状態である。
我々の平等意識は失われ、[今だけ金だけ自分だけ]の戦後資本主義哲学は令和の時代になっても究極化し続けている。
移住、ローカル、分散、は当然、それらに対するアンチテーゼである。
これを端的に表わせば、[未来のため、金だけじゃないんだ、出来るだけみんなと一緒に]である。
これを胡散臭く感じてしまうことこそ、私たちが克服しなければいけない問題なのだと思う。決して手段や結果が問題なのではない。全ての問題は、私たちひとりひとりのメンタルの中にこそある。