布師の布は天の羽衣か 0.17

今回は土佐の安芸郡の話

 

式内社、多家神社。この多家が土左の古名、タケヨリワケのタケ、あるいは武内宿禰、ヤマトタケルのタケ、神武東征のタケリノミヤであった場合はどうだろうか。

近くの神峯神社には神武東征伝説があるし、土左郡の式内社、葛木男、葛木ヒメ神社と同じように近くに存在した片方の古社がもう片方に合祀されているのはなぜなのだろうか?

 

両社とも布師氏の拠点であり、葛城襲津彦を祀っている。

 

布とは、やはり天羽衣を表しているのだろうか。天に帰れなくなった8人目の天女を送り出す為の祭祀。船に見立てた船岡山に舟を奉納する。なぜか、穂高神社と重なる。穂高の奥宮、上高地。神が降る地。

 

美しかった八ヶ岳が山体崩壊で富士山にとって変わられた。縄文時代の話だ。

 

ヤマタノオロチを斬ったのは天羽羽斬。考えようによっては、8人の天女の天の羽衣を斬ったというような隠喩にもなっている。青銅器文化とは、完全な縄文への揺り戻しだったのかもしれない。

土左郡二之宮朝倉神社祭神、

土左の郡(こほり)。朝倉の郷(さと)あり。郷の中に社あり。神の名(みな)は天津羽々の神なり。天の石帆別(いはほわけ)の神、今の天の石門別(いはとわけ)の神の子なり。–Wikipedia –

と、土左風土記にある。

 

これで、わかるのは、土左風土記が編纂されたのが、律令国家が始まる前、土左郡が土左国になる前の話だということがわかる。

 

布師を音読みで読むとフシ(不死、富士)にもなる。

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